見出し画像

ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 第6話/60話:「雀の正義感&責任感」

【ここまでのあらすじ】
岩手→練馬→川口→浦和・・・と住まいを転々としてきた阿部家。
父のギャンブル好きが原因で貧乏で婦けんかが絶えない、
家庭の長女まゆみ(私)があれこれと母に尽くしてきた。
そんな一家が今回引っ越した先は茨城県。
転校先の学校の初日に・・・・?


5年3組に配属された私が、担任の先生に連れられて教室に入ると、悪ガキみたいなのがウジャウジャいた。

転校慣れしている私は、教壇から冷静にウォッチングして、あいつは抑えておかなきゃ、みたいなことを考えながら自己紹介を終えた。

教室内は、クラスのみんなの方が私よりもずっと緊張しているのが伝わってくる。田舎だから転校生もあまり来ないのかもしれない。
そしてこういう場合、最初の休み時間に声をかけてくる奴が、大体、クラスで面倒見がいいおせっかいタイプなのだ。

案の定、休み時間になるとそんなおせっかいさんを筆頭に、私の周りには人だかりができた。

そんな中、教室の隅っこでひとり佇んでいる女の子がいた。
どうしてあの子は一人ぼっちなのかと誰かに聞いてみると、あの子も転校生で半年以上、誰とも口を訊かない変り者だと教わった。
詳しく聞くと彼女の家は私の家に近かった。
俄然、その子に興味が湧いた。

帰りの会が終わると、真っ先に彼女のところに向かった。
私は「一緒に帰ろう。」と、私よりも10センチぐらい高い彼女の瞳を見上げて言った。でも彼女は目をそらして走って逃げてしまった。
それでもめげずにダッシュで追いかけ、追いつき、彼女が家に着くまでひたすら話しかけた。

その子は佐知子。初めて茨城で友達になった子。
誰とも口を訊かないから、クラスの子は声も聞いたことがなかったという。背が高く、ごつい体格のせいか、彼女の声は男子みたいに低かった。
埼玉県川口市から引っ越してきたと聞き、共通点があることで私たちは仲良くなれた。
私は彼女を、苗字からとって、「とくさん。」と呼んだ。
私が転入してくるまでの半年間の話を色々と聞いた。

変り者というのもあるのだろうが、彼女はいわば、いじめに遭っていた。
新生活ではおしとやかにしようとした決心はどこへやら、メラメラとおせっかいな正義感が燃え上がった。
そんな正義感を宿している私は、学年の中で一番チビな上に一番軽い、雀みたいな子だ。でも、とくさんをこのまま放っておけなかった。

そして翌日、まだ転入3日目あたりだというのに、私はとくさんをいじめていた奴を呼び出し、ひとりひとりぶっ飛ばした。
ちなみに私の必殺技は飛び蹴りだ。

以来、この小学校は私の天下になった。

断っておくが、私は威張っていたわけではなく、弱いものいじめと不公平を決して許さないという理念を貫いただけだ。
そこに妙なカリスマ性みたいなものができて、友達というよりは、取り巻きみたいな子たちが周りに増えた。

私は人に何かを教えてあげるのが大好きで、放課後はよくヨシコちゃんちに集まって、みんなの宿題を見てやった。
家に帰れば弟と妹にも勉強を教えた。
将来は教師になりたい、それもかっこいい英語の先生と決めていた。

そしてあれは小6の夏休み直前だった。

当時の家の経済は、父の稼ぎはそのままギャンブルの原資に回され、勝てば天国負ければ地獄、のような不安定な生活だった。
父が勝つと、まず父の機嫌がすこぶる良いので天国なのである。
そして外食に連れて行ってくれる、おかずが豪華になる、最新の家電が運ばれてくるといった感じ。

負けるととにかく最悪なのが両親の機嫌。一触即発な状態が続き、挙句、取っ組み合いのケンカになる。
おかずがないことよりも、それが嫌でたまらなかった。
家の中が一番安全じゃなく、大いにストレスがかかる毎日だった。
そんな時、夏休み中働けないかと思ったのだ。
負ければ地獄、の時に母の財布を少しでも潤してあげたかったし、学校の給食費をいつも「忘れた。」と嘘をついて、自分だけ持っていけないのも恥ずかしかったからだ。

 仕事は電電公社(現NTT)の電話帳(現タウンページ)で探した。
市内局番が同じで会社っぽい名前の電話番号に、片っ端に電話した。

あ行から始めて、やっと「じゃあ、一度会社にいらっしゃい。」と言ってくれたのは、た行の T メリヤス工業だった。

家から自転車で10分ほどの縫製工場だった。

つづく

おひねりを与えることができます。 やっとく?