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「ディープな維新史」シリーズ intro

歴史ノンフィクション作家 堀雅昭

《イントロダクション》

―「明治維新」は「過ち」だったのか —


山口県はかつて萩藩と呼ばれていた。
藩庁所在地の「萩」を冠した名称である。
正確に言えば、幕末には藩庁が「山口」に移転したことで、明治維新期は「山口藩」になる。
しかし煩雑なので、本稿では特に必要ない場合は通称の「長州藩」を多用する。

この長州藩は、「明治維新」を誘発した地として知られる。
そもそも「維新」の語源も、禁門の変(蛤御門の変)を用意した宇部村(山口県宇部市)が発祥地であった。
私が生まれ育った場所である。

原田伊織氏は『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)で、「〈明治維新〉という無条件の正義が崩壊しない限り、この社会に真っ当な倫理と論理が価値をもつ時代が再び訪れることはない」と言い切った。

だが、本当にそうなのだろうか。
長州藩は「明治維新」で、それほど醜い「過ち」を犯したのか。

そう言い切るには、まだまだ語られてないことが多すぎる。
長州人でさえ、知らないこと、語られてないことがありすぎるのだ。

実を言えば、その分野のディープな議論も、ほとんど行われてこなかった。
「明治維新」は、我々の祖先が関わった事業でもある。
そこで、多くの人たちに、いまだ語られてない長州藩の「ディープな維新」をシリーズで公開することにしたのである。
 

幕末に宇部に設置された維新革命の学問所「維新館跡」の石碑(宇部市中尾1丁目・平成24年10月)


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