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オンラインコミュニティの講座から学んだ、人生で大切なこと

大した理由なんて、実はなかった

今年に入って、直感で、とあるライターコミュニティに参加した。なぜ、そのコミュニティを選んだのか、その理由を聞かれても、うまく答えられない。正直なところを言うと、「月額の料金もそこまで高くない」「一括払いではなく課金制だから、やめたくなったらやめたらいい」「他の編集者コミュニティとは違って、厳しすぎず、かといって緩すぎない、ちょうどいい感じ」ぐらいの気持ちで入った。
どちらかというと「書きたいのに書けない」という人が、書くきっかけを得るためのコミュニティという感じ。

でも、もう1-2年、いやもっと前からかもしれないけれども、仕事のスキルアップにつながるコミュニティに入りたい、そう思い、ずっと探していた。

私はずっと仕事に行き詰っていた。自分の能力に限界を感じていて、何か突破口がないかと思っていた。スキルアップが必要なんじゃないかと。

ただ、何十万円も払って、本格的な講座を受けても自分のためにならないことはもうわかっていた。

何度も高い金額を支払っての講座を受けてきたけれども、結局お金を払ったことで満足してしまい、その後の努力を怠ってしまう。そういう自分の性格を考えると、継続性のあるコミュニティに入ることが効果的だと分かっていた。

そうして探し始めたコミュニティ。だけれども、いくつかためしに参加してみたけれども、ピンとくるものがなかった。そんなことをもう1年以上は繰り返していた。

何かを「得る」以上に「貢献できる」ことの方が実は大切なのかもしれない

そんななか、今年に入って見つけたライターコミュニティ。私は編集者としてのスキルアップをしたかったので、ライターコミュニティに入っても、自分が抱える課題解決にはつながらないんじゃないかと思っていた。ただ、そんな中で、たまたまライターコミュニティの説明会が開催されると知った。ちょうど土曜日の朝、予定もないので参加できる。そう思ってぽちっと参加ボタンを押した。

そして当日、私以外にも参加者の方は何人かいた。皆さん、どうやら主催の方とは何らかの接点がある人が多かったよう。皆さん書くことを仕事にしたい、あるいは仕事で書くことが求められているのだけれども、そのきっかけをつかみたい、そんな状況の方が多いような印象だった。

ちなみに私は、上述の理由から、あまりコミュニティに何か具体的な期待をしていたわけではなかった。だからこそ、特に質問もなかったし、皆さんの話を「ふんふん」と聞いていた。

そんな中で一人の参加者の方が「いずれ、ライターとして仕事をしたいが、コミュニティに入ればいいのか、ライター講座を受ければいいのか、何を選べばいいのか分からない」といった質問をしたときに、主催の方から、その話に対しての編集者としての意見を聞きたいといった感じで振られて、その場で頭をフル回転させて答えた。

確かその際は、「商業ライターとしてやっていくには、執筆力はもちろんだが、それ以外の能力も求められる。例えば、依頼側のニーズをきちんと把握したり、時には提案が必要かもしれない。そういったコミュニケーション能力も必要だし、決して楽な仕事ではない。そういったことも踏まえて、自分は商業ライターとしてやっていくんだと覚悟があるのであれば、ライター講座を受けた方が最短距離で進めるかもしれない。けれども、まだそこまでではなくて悩んでいるのであれば、まずはライターコミュニティの中で書いてみることから始めたらいいのではないか?」

そんなことを言った気がする。

その時に、私は人に貢献できたという満足感を感じられたのだ。(自己満足かもしれませんが笑)

編集者としてこのコミュニティで「書きたい」「ライターになりたい」という人にアドバイスすることで、何かしら貢献できるのではないか。

その感覚を得られたからこそ、参加しようと思えたんじゃないかと、今になって思う。

「理想」を追い求めすぎたら、欲しいものは見つからない

と同時に、気づいたことがある。「今、自分が編集者としてのスキルアップにつながるコミュニティを探しているけれども、自分の理想にぴったりのコミュニティなんてないんじゃないか」「そもそも漠然と”スキルアップをしたい”と思っているにすぎず、具体的にどんなスキルアップをしたいのかも明確ではない。そんな中で、自分の理想をかなえるコミュニティなんてないのではないか」

と。であれば、あまり悩みすぎずに、まずは入ってみたらいいじゃないかと。そこで何かを学び、次のステップに繋げればいいじゃないかと。最悪何も学べなければ、退会すればいいだけの話。深刻に悩むほどのことでもないよね、と。

そうして、ライターコミュニティに入ることを決めた。

そうしてコミュニティに入って2カ月。入ったものの、定期的に開催されるイベントや会には参加できずにいた。

「お気に入りのアイテム」が思い当たらない⁉

そんななか、参加するつもりでもなかった会に、たまたま機会を得て、参加した。

【書きたいけど書けない人のためのブログ講座】

私自身、ブログはずっと前から書きたいと思っていた。発信したいと思ってNoteも始めていた。けれども、何を書けばいいのか、何を書きたいのかも分からず、数本書いて終わってしまい、継続できないでいた。そのうち、もはや「書きたい」と思っていたことすら記憶のかなたに忘れ去っていた。

そんな自分の中の「書きたい」欲が無意識で掻き立てられたのかもしれない。

さて、その講座の中で、1つ「はっ」とした言葉があった。その言葉をきっかけに、過去の自分の経験など、次々と連想されイメージがぶわーっと広がった言葉だ。

ブログで発信する際の切り口として

「私のお気に入りは何か?」

をテーマに、以下のようなことを「自分の体験などに基づいて主観で書いてみよう」という軽いワークの時間があった。

・なぜそのアイテムがお気に入りなのか?
・なぜ買ったのか?
・どんなふうに使っているか?
・使うとどんな気持ちになるのか?

なんてことない普通のテーマ、なのにそこで気づいてしまった。

「私のお気に入りって言われて何も思いつかない………」

ということだ。

ふと、今自分の身の回りにあるものを探してみた。

今もっている、最近買えたばかりのスマホはお気に入りなのか?
→うーん正直なところ使い勝手に少し難ありで「お気に入り」とはいいがたい。

今私が持っているショルダーバッグはお気に入りなのか? 
→うーん前のカバンが壊れてしまい、とりあえずで買ったもの。使い勝手は悪くないが「お気に入りか?」といわれるとそうでもない。

今私がもっているリュックサックは?
→肩をかける部分が少しほころびていて、そろそろ新調したいなと思っていたところだ。しかも、綺麗めを目指したい私には、ちょっとカジュアルすぎるバッグだ。

今私が使っているお財布は?
→7-8年前に買ったもの。当時はめちゃくちゃお気に入りだった。けれども、それは過去の話だ。もうそろそろ変えたいなと思っていた。

今使っている筆箱は?
→以前使っていた筆箱は、旅行先に置いてけぼりにしてしまったので、取り急ぎの代用品として、100円均一で買ったものだ。

今日着ている服は?
→うーん、動きやすく使い勝手はいいが、お気に入りというわけでもない。

今日着てきたコートは?
→7-8年ぐらい前?に買ったものだ。当時は気に入っていたが、さすがにここまで使えばだいぶ着古した感もある。新調したいと思っているが、新しいものを探すのが面倒くさくて、見つけられていないので今も使っているだけだ。

とまあ、頭に思い浮かべても「お気に入り💗」と胸を張って言えるものが見当たらない。

なんということだ。お気に入りに囲まれていない私自身。そりゃ気分もウキウキしないよね…と。

確かに、お財布もコートも、昔は気に入っていた。けれども、ときが経てばお気に入りも変わる。ましてや、7-8年といえば、もう年も重ねて好みもそこそこに変わっているはず。なのに身に着けているものは、何も変わっていない。年齢に見合っていないものを持っているということだ。

「お気に入り」って変化する、だからこそアップデートが必要だと感じた瞬間

ふと、自分の過去を振り返ってみる。

実家を出て東京に来てもうすぐ7年。東京に来てから私は、「お気に入り」を探すことをやめたのだ。そもそもどこに行っても人も多いし、どこに行けば、自分のお気に入りに出会えるのかも分からない。ピンと来る場所が見当たらず、当初は探していたが、徐々に探すのを諦めた。

それでも、東京に来てすぐの頃は、1年に1-2度の帰省時に服や靴を買っていた。けれども、段々それもおっくうになってくる。しかも、ここ1-2年は帰省もできず、またコロナ禍でお気に入りのお店の閉店が相次ぎ、再び訪れたら違う店になっていたなど。ただ、そうでなくても年を重ねているので、好みは変わっているはずだから、それに見合ったお店を開拓する必要がある。

お気に入りを探す努力を怠ってきた先に今の自分がいるのだ。

私は何が好きなんだっけ?何にワクワクするんだっけ?そういう感覚を失ってしまっていたのだなと。

全ては自分が望んだ方向に進んでいる

それでも、昨年までは、自分の心の声にちゃんと向き合っていたのだと思う。私が手にしたいものは、服や靴、カバン、など物質的なものだけではない。

おそらく、大きな転機となったのは2021年1月。その年、私が掲げたテーマは「無」。とにかく、自己主張をしてばかりの自分が嫌で、自分の価値観や考えを押し付ける自分が嫌で、あえて「無」というテーマを掲げた。

そしたらその通りの1年になったのだ。自分の「Wants」を押さえつけざるを得ない状況に多数、直面した。

「なんで、こんな目に合わないといけないのか」と何度も思った。そしてそのことで、周りの人たちにたくさんあたった。

けれども、それは「無」というテーマを自ら掲げた自分が自ら選んだ道だったのだ。

2021年のテーマに「無」を掲げた自分は、自分の意志を失ってしまった。

私には「他人の顔色を窺って、自分の考えや想いにふたをする」ことが、性にあわない。その延長線上に、今の自分がいる。そう思ったら、なぜ今の自分がこんなにも悶々としているのかが、腑に落ちた。

「自ら選んだ選択肢だったんだ」と………。

やっぱり私は、自分のときめくもの、お気に入り、ワクワクするものに囲まれていたい。

自分の意志を大切にしたい。

「あなたのお気に入りは何ですか?」の一言をきっかけに、そうしたことにハッと気づいた。

だからこそ、2022年は、お気に入りを再び探す旅に出ようと改めて心に誓った。

自分の心がワクワクしたりウキウキするものは何か、自分の内面と向き合って、1つ1つクリアにしてそれをかなえていこうと。

もしかしたら、「自分の欲求を満たしてばかりで、自分勝手。自己中心的」といわれるかもしれない。けれども、それが私だ。自分の心の声にきちんと耳を傾けよう。

ワクワクから目を背けると、砂漠のように心も乾燥してしまう

そんなことを思った矢先、最近仕事がうまくいかない理由も、「自分のワクワクやドキドキ」から目を背けていたことが、根本の原因だったのかもしれないと思った。

もちろん、スキルアップしたいというのは、ずっと以前から思っていたのだけれども、2021年は本当に仕事がうまくいかず、苦戦した。

なかなか思ったように進められない。もちろん、思い通りに進むことばかりではないのは分かっている。が、それにしても、思い通りに進まない場面が、多すぎた。そして、平日の遅れを挽回しようと、週末も仕事のことを考える時間が増えた。

その結果、プライベートな時間がどんどん削られていく。ワクワクすることに充てられる時間も減っていく。そして、休みの日もあまり気乗りしないので、だらだらしてしまい、結局生産性が上がらず、無駄に週末を過ごしてしまう。

であれば、最初から割り切って休みを満喫すればよかったのに、無駄に過ごしてしまったため、平日もさらにモチベーションがあがらない。

そうして負の循環に陥っていたんだなと。

そんなことに気づかせてくれた、ライターコミュニティに感謝。仕事に直結しなくても、生かせなくても、それでもいい。人生は、仕事とプライベートと完全に分かれているものでもない。時に交差し混ざり合い、プライベートが仕事に生かせたることがあれば、その逆もしかり。

仕事のことばかりを考えていると、大切なものを失ってしまう。これは社会人1-2年目に身をもって学んだことだったのだけれども、また同じ状況に陥りかけていたことに気づいた。

仕事もプライベートもどちらも関係なく、自分のワクワクを感じる方向に進んでいきたい。

改めてそう感じたので、そのことを忘れないように、書きとどめておくことにします。


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