ウクライナ政府のツイッターで、昭和天皇の写真がヒトラー・ムッソリーニとともに登場した件について

 今年2月にロシアがウクライナに侵攻した。当初は軍事力で勝るロシアが圧倒するという予想もあったが、ウクライナ国民が良く準備していて勇敢かつ頑強な抵抗を示していること、アメリカ・ヨーロッパを含めた多くの国がウクライナを支援していることもあり、情勢は長期化しつつある。日本も西側諸国の一員としてウクライナへの支援とロシアへの制裁に参加しているが、ロシアの関係者が核兵器の使用や、日本の領土への関心を口にするなど、安全保障の面でも憂慮するべき事態となっている。

 そのような中で、4月上旬にウクライナ政府がロシアのプーチンを非難する意図の動画をツイッターに投稿し、そこにヒトラー・ムッソリーニと並んで昭和天皇の写真が登場した。そのことを日本の一部の団体や人々が問題視して抗議したために、ウクライナ政府がその動画を削除する経緯に至っている。
 4月下旬にはウクライナ外務省によるウクライナを支援する国への感謝の意志を表明する動画を投稿したが、その中に日本の名はなかった。ウクライナ側からは、「武器支援の文脈で感謝の意を示した」とあったが、日本からの抗議に謝意の表明があったという。
 私は上記の2点に関して、非公式ではあっても日本からの抗議が行われ、それに対してウクライナ側の訂正や謝意といった反応を得たという経緯について遺憾に思っている。そのようなことは行われるべきではなかった。これは道義的に問題であるし、国際社会における日本の信用を低下させ、ひいては安全保障の分野にも悪影響を与える内容であるからだ。以下に、その理由を説明していく。

 昭和天皇の写真が出てきた動画については、次の二つの論点が関係している。
①昭和天皇の第二次世界大戦における責任問題を、どのように考えるのか。
②日本が全体として、第二次世界大戦でアジアをはじめとした周辺国に多大な損害を与えた事実を認識し、それを反省しているのか。
 今回、このウクライナの動画を問題とみなしている人々は、その根拠として①の問題について、ウクライナによって「昭和天皇に戦争責任があった」と主張されたと理解し、それに憤り、強く抗議している。確かにこの問題について考えることは容易ではない。例えば2000年に出版された『天皇の戦争責任』という書物の中で、橋爪が「(天皇に)戦争責任はない」「なぜなら、天皇は、帝国憲法の定めに従い、立憲主義の精神に従って、行動したから」と主張したのに対して、加藤は「戦争責任がある」「兵士たちに戦場に行くように命じ、彼らを死なせた」「道義的な責任」があったとする。筆者も、この点についての意見を本論では表明しない。このような議論は、日本社会や日本的集団の意思決定のあり方、リーダーに期待される責任のとり方が特殊であるという認識と関連している。日本では、集団の格付けにおける最上位者が、必ずしも有事の際の最終責任者とみなされない場合がある。したがって、昭和天皇の戦争の意思決定へのコミットメントのあり方は、ヒットラーやムッソリーニのそれとは異なっており、それにも関わらず、ウクライナ政府がその点を同列に扱ったことについては、決して承服できないというのが、今回の一部の日本の関係者から提出された抗議のロジックのようである。
 しかし、そのような日本の特殊事情を理解してもらうことを、世界中に求めていくことは、今後わが国が国際社会の中で生きていく上で、本当に現実的なのだろうか。これはあまりに複雑で、通常の近代的な法の感覚からは懸隔のある議論なのではないだろうか。逆に、私たちはそのような水準で、他の国家の特殊な事情を理解して配慮した行動を取れているのだろうか。

 私が恐れるのは、上記の①について反論しているつもりが、②の「日本全体が、第二次世界大戦で周辺の国に多大な迷惑をかけたことを認め、反省していること」という国際社会のからの認識を覆そうとしていると、誤って受け止められてしまう危険性と、そうなった場合の損失の大きさである。日本は戦後、戦争の過ちを反省し、平和国家に転換したことを表明し、それが受け入れられたことで国際社会に受け入れられた経緯を持つ。その前提を、日本が自ら覆そうとしていると誤解された場合に、国際的な信用・威信がどれほど失われるのかという点について、今回取り上げているようなウクライナへの抗議を行っている人々は、あまりにも軽く考えている。ドイツやイタリアから、同様の抗議が行われていないことの理由を考えてみる必要がある。

 問題を安全保障の分野に限定して、さらに議論を進めたい。参照するテキストは古関による『対米従属の構造』である。現在の日本の安全保障の基軸になっているのは日米安保条約であるが、アメリカ側ではそれに先立って、NATO(北大西洋条約機構)を念頭に置いた太平洋協定案が構想されていたそうである。1951年の段階で、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、日本、アメリカ、場合によってはインドネシアを含めて、安全保障についての相互援助取り決めを結ぶことが目指された。しかし、第二次世界大戦の記憶が生々しいこの時点で、太平洋島嶼国家から日本が信用を得ることはできなかった。フィリピンから日本の賠償・戦争責任問題が、オーストラリア、ニュージーランドからは、日本が再軍備することへの疑念が提出された。アメリカは、これらの国に対して、冷静体制下で日本の復興が不可欠であること、そして日本の再軍備の脅威に対しては、アメリカと在日アメリカ軍が日本再軍備に対する「ビンの蓋」となり、日本軍が脅威となることを防ぐことになると力説する必要があった。アメリカは結局太平洋協定を諦め、これを3分割し、オーストラリア・ニュージーランドとの安全保障条約、フィリピンとの条約、そして日米安全保障条約が締結された。

 戦後の日本の安全保障は、日米安全保障条約を基軸に成立している。それについて、日本の主体性があまりにも制限されているという批判がなされている。しかし歴史的な経緯を見る場合に、日本の周辺の国家は、日本が復興して再軍備を行うことを強く警戒していた。アメリカがそうなった場合の対処を行うという保障を行ったことで、日本の国際社会への復帰が許された経緯がある。今後日本がこの分野でも主体性を確立したいと望むのならば、アメリカの保証がなくとも、日本が第二次世界大戦の戦禍をもたらしたことを十分に反省しており、戦前・戦中とは異なる新しい価値観を奉じる国家となったという国際的な信頼を得続けることが、不可欠な条件なのである。

 その後、日米安全保障条約は、アメリカ側からは東西冷戦下におかえるソ連を封じ込めるための、冷戦終結後はアメリカの安全保障上の世界戦略を日本の協力を得ながら遂行するための機構の一部を担っている。このような日本の安全保障をめぐる状況については、その注力する方向が、アメリカとの二国間関係に集中し過ぎており、他の同盟国との信頼関係を長期的な視点で構築していくことへ配慮が欠けていると批判することができるだろう。誤解を避けたいのは、アメリカとの関係は決して軽視できないということである。アメリカとの関係が最重要であるという認識を外すことはありえない。しかしそれを基盤にしつつ、安全保障の観点から他の諸国との信頼関係を構築していくことも、十分に意図されねばならない。私たちは現在、ウクライナが安全保障について、実に巧みに多くの国からの信頼を得て、多くの援助を引き出している姿を目にしている。一方、もし日本に安全保障上の危機が生じてしまった場合に、同じように多数の国から援助を受けられるはずであると、筆者は確信を持って予想することができない。このような状況で、安易に「日本は第二次世界大戦の戦禍をもたらしたことについて、本当は反省していないのではないか」と誤解されるような行動は、慎まれるべきである。

加藤典洋、橋爪大三郎、竹田青嗣『天皇の戦争責任』(2000)径書房
古関彰一『対米従属の構造』(2020)みすず書房

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