なぜ私たちは「原作者」を軽んじてしまうのか

マンガ『セクシー田中さん」がテレビドラマ化され、原作者がその内容に納得できないものを感じて抗議した。その後、脚本家・テレビ局・出版社が関わるやり取りが発生し、原作者が命を絶つという最悪の事態を迎えることになってしまった。
豊かな才能をその作品に注ぎ込むことで私たちを楽しませてくれたのにもかかわらず、それにふさわしい報いを得ることのできなかった原作者の思いをしのび、心からの感謝の気持ちを表明するのと同じに、その魂が慰められて安らかであることを祈りたい。

この記事では出来事の詳細をフォローすることは行わない。その代わり、私たちが誰でも行いかねない「原作者を軽んじてしまう」という行為が、どのような心理的なトリックを用いて、強い罪悪感を回避して行されてしまうのかについて考えてみたい。

私は精神分析家の北山修のことを心から尊敬している。その北山は日本人の人間関係で生じやすい悲劇的事態を説明するのに、「鶴の恩返し」の説話をもとにした木下順二の戯曲『夕鶴』を頻繁に参照する。主人公の男性に助けられた鶴は恩を感じ、美しい女性の姿になってその男性の妻となった。自らの羽を織り込む、つまり命を削ることで作り出した織物は非常に美しいものだった。仲間にそそのかされた男は、妻にたくさんの機を織らせた。仲間たちとともに妻が機を織る姿を、約束を破ってのぞいた男は、鶴が自らの羽を織物に折り込んでいる姿を見てしまった。妻は傷ついた鶴の姿となり、飛び去った。

マンガの原作者が、自分の不満を公にした後に批判され、立ち去ってしまったことをどうしても連想してしまう。
一連の報道などで示唆される原作者に対する冷淡さから、脚本家やテレビ局の担当者などを批判する声も聴かれる。しかし、そういった人々が個人的に非常に悪辣だった可能性は、高くはないと考える。同時に考えるのが、そのような人々も、一対一のプライベートな人間関係であったなら、「原作者」に対するそこまで大胆で冷淡な姿勢を示さなかったのではないか、という疑念である。
「原作者」を軽んじる姿勢を示した時に、当事者は、個人としての立場ではなく特定の「テレビ局」などの権威に心理的に同一化していた可能性がある。「わがままを言う関係者」に対して、会社の利益を確保するために教育的な仕打ちを行うという大義すら感じていたかもしれない。

昨今の日本社会では、他者を自分の望む方向に動かしたいときに、個人として別の個人に依頼をするという直接的なコミュニケーションが回避される場合がある。個人と個人、あるいは個人と法人との約束事、契約という方法を取ることは、いまだに「水くさい、面倒くさい」ということで敬遠されがちである。
それでは、どのような方法が選ばれるかというと、ある個人を特定の空気に巻き込み、その空気からの強制で人を動かそうとするものである。「みんなの和が大事」という空気の中に多くの人々を巻き込み、権限や報酬を分配する段階で、タテ社会の論理を持ち出して「お前の序列はこの程度だから、それ以上を要求するようなわがままを言うな」と冷淡に切り捨てる。そのようなマネージメントが、現在の日本社会でも横行していると思う。
(筆者は、「タテ社会のマネジメント」について、ワールドカップ直後のサッカー日本代表を題材に、次のような小論を書いたことがある。世界を驚かせた森保ジャパン、なぜ「集団運営」にここまで成功したのか(堀 有伸) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)

「基本的人権」という概念を共有して、きちんとした決まり事を明確にしてそれを共有するという作業は、決して単なる綺麗事ではない。近代化された社会を運営するために不可欠なプロセスである。

『天皇制国家の支配原理』という著作のある藤田省三は、別の著作(『藤田省三小論集 戦後精神の経験Ⅱ』)で次のような発言を行っている。「昨年亡くなった西ドイツのカール・レービットは戦争中日本にいて軟禁状態におかれていた。彼は戦後間もなくこう書いています。日本人の精神的特徴は自己批判を知らないということである。あるのは自己愛、つまりナルシシズムだけである、と。その指摘はいまいよいよ実証されてきたと思います。その点をさらに突込んでいうと、個人としての自己愛であればエゴイズムになり、したがって自覚がありますが、日本社会の特徴は、自分の自己愛を自分が所属する集団への献身という形で表す。だから本人の自覚されたレベルでは、自分は自己犠牲を払って献身していると思っている。その献身の対象が国家であれば国家主義が生まれ、会社であれば会社人間が生まれて、それがものすごいエネルギーを発揮する。しかしこれはほんとうはナルシシズムであって、自己批判の正反対のものなのです。錯覚された自己愛、ナルシシズムの集団的変形態であって、所属集団なしに自己愛を人の前に出すほどの倫理的度胸はない。本当に奇妙な状態です。よく外国の批評家が、日本人は集団主義だというけれども、それは一応はあたっている。ただし、日本人の集団主義は、相互関係体としての集団、つまり社会を愛するというのではなくて、自分が所属している集団を極度に愛し、過剰に愛することによって自己愛を満足させているのですから、そこに根本的な自己欺瞞がある。(中略)自覚、自己批判がないわけですから、これを崩すのは容易なことではない。」

この空気によるガバナンスを維持するためには、特定の集団内部の基準を超えた、より普遍的な観点から評価される人間や、既得権益を維持している層よりも本質的で多大な貢献を行った人物を、序列の上位に置くことを避けることが重要である。そのような人物がタテ社会的なあり方に対して批判的になった場合、その批判を抑えることが困難になってしまうからだ。したがって、優秀な人間ほど警戒し、十分な教育を行って、自虐的なまでに空気に従順になる習慣が身についていることを確認するまでは、上位に進ませないようにする必要がある。そうしておけば、いざという場合には「彼は能力が高いが、人格的に問題がある」と切り捨てることができる。逆に、能力がそこまで高くはなく、貢献度がそれほどではなかったとしても、空気を読んで自分と周囲をそれに従わせる能力に長けている人間を、序列の上位に置くことは安全性が高い。そのように担がれた人物は、担いでくれた人に恩義を感じるだろうし、空気に逆らう人を抑えるように、熱心に自発的に動いてくれることを期待できるからだ。

空気による支配はタテ社会における上位の人々にとって都合が良い。自分が批判されたとしても、その人物について、「感謝の心がない徳の足りない者」と逆に批判することで、その人間が周囲から軽蔑されるようにすることが容易だからだ。このようなタテ社会の論理が横行し、個人の人権や契約の観念が根付かないのは、単に文化的なものだけなのだろうか。私はこの状況が、政治的かつ意図的に誘導されているという疑念をぬぐいさることができない。
「空気による支配」は、明晰に語られる論理への嫌悪感によって支えられている。それが形を取って現れたものの一つは、近代化後の日本では「教育勅語」(「教育勅語」の呪縛のなかで日本社会が先送りにしてきた課題(堀 有伸) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)も参照していただきたい)であり、「国体」の概念だった。

橋爪大三郎は『皇国日本とアメリカ大権 日本人の精神を何が縛っているのか』という著作の中で、1937年に出版され戦時下の日本人に精神に大きな影響を与えた『国體の本義』について、それがすぐれた西欧文明に出会った日本人による防衛的な反応であったことを、次のように説明した。「その一。西欧文明はすぐれている。特に、自然科学、技術、産業、軍事、そのほか多くの分野で、断然すぐれている。その二。西欧文明がすぐれているなら、取り入れなければならない。日本も同様に、すぐれている必要があるからだ。それには、西欧の文献を読み、西欧の物資を輸入し、西欧のやり方を習得しなければならない。その三。西欧文明を取り入れる途中で、相手に影響される。影響されるので、自分を見失いかねない。自分を見失ってしまえば、元も子もない。その四。そこで、西欧文明と日本のあいだに線をひく。西欧文明から取り入れなくてもいい部分を、特定する。それが、個人主義である。その反作用として、日本が見失ってはならない部分が特定できる。それが、日本の国体である。個人主義/日本の国体、は絶対的に対立するふたつのシステムなのである」

このような「国体」は敗戦によって終了したのではなく、継続していると指摘する論者は数多くいる。最近のものでは、長谷川雄一「自壊する日本の「原像」ー序にかえて」(『自壊する「日本」の構造』所収)を挙げておく。

 空気に水を差す個人主義的な論理を展開する人を「自己主張が強い人」「理屈ばかりで人の心の分からない人」とレッテルを貼って排除する空気を国民の中に浸透させれば、その支配は盤石になる。そして安倍政権には、そのような形でのガバナンスを促進した側面があったし、現政権でもそれは根本的には改められていない。(政治家の質が劣化する中で…安倍元首相は日本をどう変えたのか? その功罪(堀 有伸) | 現代ビジネス | 講談社(3/4) (gendai.media)

このような空気によるガバナンスが有力な出版社やテレビ局で影響力を発揮していたのだとすれば、原作者が軽く扱われるような出来事が起きたとしても、不思議ではないだろう。

くり返しになるが、「基本的人権」という概念を共有して、きちんとした決まり事を明確にしてそれを共有するという作業は、決して単なる綺麗事ではない。近代化された社会を運営するために不可欠なプロセスである。


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