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左手に時計をはめる

ここ最近、ときどき左手に時計をはめている。

普通のことだと思うだろうか?

私にとっては普通ではない。
左利きだからだ。書き物などでは邪魔になるから、普段は右手にはめている。
左利きでも左手にはめる人もいるので、そこは好き好きだろう。
なお私が最近左手にはめてるのは、右利きの気分になろうという実験だ。


右手に時計をはめていることで言われることがある。
「左利きなんですか?」
これを言われたら、ええ、はい。としか言えない。だが、
「ハサミとか切りにくそうで大変ですよね」
これは余計なお世話だし、考えが狭すぎてかわいそうになる(煽り気味)。

紙を切りにくいと勝手に決めつけ頼んでもないのに勝手に大変だとお察しする時間があるなら自分の幸せを追求してほしい。とくに視野の狭さを自覚してものごとを柔軟に考える訓練をおすすめする。

世の中の一通りのことが右手でできるのは、街をはじめ多くのものが右手で使うように造られているからだ。
生物学的にヒトは右利きが多い。そのため比較的細かい操作を要する器具は、器用に使える右の手で使いやすいように作られる。人間工学の領域だ。
料理に使うレンゲ、改札機の切符投入口の場所、券売機のコインの投入口、マウスのデフォルトデザインが右利き用なこと、ペットボトルのキャップが反時計回りに開くのもそのためらしい(ここは閉める動作もあるのでよくわからない)。
ハサミやカッターは刃の向きが右利き用にできており、品によるが左手では切りにくいものが多い。カメラのシャッターボタンや主要なボタン、ダイアルも本体の右側にある。
あとは書き物だ。とくに毛筆が最たるもので、習字や書道では左手で書くんじゃおはなしにならない。完全に右利きの力の入れ方を前提にして毛の流れが考えられている。

さて、そんな右利きによる社会に生まれ落ち、幼いころ良識のある保護者に右利きへと矯正されなかった結果、社会からの疎外感を感じ苦しみそのストレスで死んだ左利きはいるのだろうか。

私はべつに何かの使いにくさでストレスを感じたことはない。強いて言えば万年筆などのペンがダメになりやすいのが残念だ。
それ以上にストレスを感じるのは勝手な「大変ですね」という言葉たちだ。

私は生粋の左利きだ。でも次のことは右手で行う。
・マウスの操作
・スイカのタッチ、切符の投入
・小銭のあつかい(財布の小銭入れが右側についているため)
・ハサミ、カッターの操作
・ペットボトルのフタの開け閉め
・レンゲなどの操作
・カメラの右側にあるボタン類の操作(当然か)
などなど。
なぜ右手で行うのか。言うまでもなく、これらは右手でやるほうが楽だから。
右手が使えるのかって驚く人がいたら、やばい。
普通これくらい動かせるだろう。いやもちろん個人差はあるけど。

右利きの人たちは左手で何もできないのだろうか?いやまさか、そんなはずはないでしょう。右利きの人だって左手が使える。その必要が少ないだけで。

野球のグローブは左手にはめる。
テニスのサーブも左手であげる。
バイオリンやギターを弾く人は運指するのは左手だ。
ピアノやドラムスの人は両手がやばい。

手が本来持つポテンシャルを、利き手というラベルが隠してしまっているといってもいいと思う。

いちいち人の時計を見て「左利きなんですか、いろいろ大変ですね」という暇があったら、自分が左手でできることをひとつでも増やして、左半身の可能性を伸ばそうとした方がよいのではないか。
あと営業トークとしても、イマイチかなって思う。(またか)と思って応じるスキルは持ってるけど。


しかしあれだね、右利きの人は左手に時計なんかつけてよく邪魔じゃないね、大変だねー。

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