見出し画像

運転免許の葛藤

私は3歳で網膜色素変性症の診断を受けました。

私の1番古い記憶のある視力は、小学校1.2年生の時で、裸眼で0.4だったと思います。

大学入学の時には、眼鏡をかけて0.7でした。

私には双子の弟がいるのですが、2人同時に大学生を持つ事になった親は、自宅から通える大学を条件にしていたので、家から大学まで片道1時間半かけて通学していました。

入学当初は、バスと電車で通っていましたが、大学の友達や先輩が車やバイクで通うのを見るにつけ、当時の私はあまり深く考えずに原付免許を取得しました。

それでも夜盲なので、夜の運転はとても怖く、なるべく明るいうちに帰宅するか、暗くなったらバスで帰るなどしていました。

いま考えたら恐ろしい話ですが、大学から自宅まで夜道を原付で帰ったこともありました。

就職活動をする際に、車の免許が必須要件の会社が多く、とりあえず免許だけでも持っておいた方がという思いで、大学4年の時に車の免許も取得しました。

夜盲だったので、教習所では夜間教習は避けましたが、それでも高速教習の時に、長いトンネルを走った時は、中央線が見えにくくて焦りました(その後、路側帯を基準に走る方法をマスターしました)。

就職した会社で、夜間に2トントラックを運転するよう言われ、流石に事故るなと思った私は、そこで眼の病気のことをカミングアウトしました。

その会社は即退職になり、次に障害者デイサービスの支援員として車いすリフト送迎車の運転をする事になりました。

ここでは昼間中心の運転だったので何とかこなせていました。

その後、障害者地域生活支援センターの相談員として働くようになり、車の運転はかなり減りましたが、途中から視野狭窄と視力低下が激しくなり、外勤も電車、バスと徒歩のみになりました。

自分で車を持った時期もありました。

免許取得当初は、仕事に必要な時だけという思いで、それでも原付だけは米やビールを買う時に乗っていました。

元々クルマ好きで、雑誌のカーグラフィックを中学生の頃から買い集めていたので、免許を取って10年目くらいの時に、当時BMWが初めて発売したミニを新車で買いました。

結局ミニは、いまの奥さんと結婚して子供が産まれるまで乗りました。

その後は、晴眼者の奥さんが主な運転者で、子供が増えるにつけ車種は変わって、子ども4人の6人家族となった今は、日産セレナと典型的な家族クルマになりました。

セレナ購入時は、昼間など私も運転していましたが、最後は長男と奥さんが長期入院中に、上の子供たちを連れて毎週見舞いに車で行っていた時に、視力の異変に気づいて免許返納となりました。

免許返納しても暫くは、子どもの保育園送迎に電動自転車には乗っていましたが、視野狭窄の進行を感じてそれも今はやめています。

事故の偏歴ですが、大学へのバイク通学の際に、乗用車との物損事故を起こしています。

夕方で、周辺視野が狭くなっていたので見えづらかったのもあると思います。

デイサービスの送迎車運転中に人身事故も起こしました。

幸い利用者は乗っておらず、発進直後の事故でスピードも出ておらず、相手の方も大事には至らなかったのですが一発免停でした。

その後は、事故はなかったのですが、やはり事故経験もあるので見えにくくなってきた時には、最悪のことも考えて運転は卒業する事にしました。

運転免許の欠格事項として、道交法には「精神病者、知的障害者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者、口がきけない者」とあります。

視覚障害者は、目が見えない者にあたりますが、これは視力検査をパスすれば免許は取れてしまいます。

聴覚障害のある方も法改正で免許取得できるようになりましたが、他にも学科試験をパスすれば、例えば知的障害のある方も免許を取得出ますし、実際障害を隠して免許を取る方は多くいます(てんかんは病状の申告義務があります)

私は、取り返しのつかない重大事故は幸い起こさなかったですが、事故を起こしてから、もし障害が原因だとわかれば、刑事的にも民事的にも責任が問われるわけなので、そこはしっかり認識する必要があります。

特に中途障害の方は、どこで運転を卒業するのか大変悩むと思います。

クルマは便利ですし、仕事で必須の場合もあるので、簡単に免許返納というわけにはいかないと思います。

悩み多き運転免許問題ですが、私の経験談が少しでも参考になれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?