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LGBTQのこと

※私はまだLGBTQに対する知識が浅いです。もしも不適切な表現があれば、ごめんなさい。ぜひ教えていただきたいです。

大学生の時、なんとなく入ったサークルでLGBTQのことを学んだ。

その当時は「Q」はなかった。
今はもっと長いみたいだ。
それってつまり、世の中はもっともっと多様で私たちが知らない世界があるということ。
きっとアルファベットでは表しきれないのだろう。

人と違うことを好み、人と違うことを非難する人が嫌いな私はマイノリティーの味方になれるような、そんな生き方がしたいと思った。

社会人になって、偶然社内で同じ考えの方が多く、LGBTQ支援仲間(ALLY)に参加した。
入社して間もない私は一般の業務に精一杯であまり積極的な支援活動はできなかった。

けれども、まずは知ることが大切。そう思い、市が開催しているLGBTQの方々が参加するコミュニティに仕事の合間に行ってみた。

初めての場所に緊張する私は、部屋の入り口の前で行ったり来たり。
なかなかの勇気を出して踏み込んだ。

15帖ほどのスペースには、主催者と思われる方が2-3人と、丸く机を囲んで若者が10人ほど、また違う机に年配の女性が1人、壮年の方がまた別の机に3人、いらっしゃった。入ってきた私をちろっと見て顔を逸らす方もいた。

私は咄嗟にどこに座ろうかと迷ったが、ひとまず年配の女性がいらっしゃる机の席に座ることにした。

入退出自由であり、周りがどういう状況か読めずにキョロキョロしていると、主催者の方が、「本を読むでもよいしお話しするでもよいし、向こうの机は折り紙をやったりしています。自由に過ごしてくださいね。」と声をかけてくださった。
ありがたい。

10人ほどで丸い机を囲み何か創作活動をしていた方々はLGBTQの当事者と思われる。

私が座った机にいらっしゃった女性は本を読んでおり、私におすすめの本を教えてくださった。私はひとまず本を読み始めたものの、10人の若い方々ともお話しがしたいとも思い、そちらが気になって仕方がなかった。

年配の女性と少しお話しをさせていただく機会があった。どうやらその方の知り合いが当事者の方で以前亡くなられたとのこと。その時はその方の気持ちを理解することができず、後悔があり、今こうして勉強をしているとのことであった。

その後も少しその方とお話しをし、結局若者10人の輪には入ることができずに帰る時間が来てしまった。

正直に言う。
居心地が悪かったのは事実。
どのタイミングで帰ろうかとばかり考えてしまった。

それはなぜだろう?

私は初めての場所は緊張しやすいが、初めましての方とお話しすることは比較的好きな方だ。

今回私が会場に入った時に感じたなんとも言えない違和感。いわゆるアウェイ感。

私はこの中に入ってはいけないのではないか。私自身がこの中には自分は入れないとバリアを作っているような、そんな寂しい感覚がそこにあった。

この感覚、いつもLGBTQの方々が私たちに感じているものと近いのでは?

「では多数決で決めましょう。」

そう先生に言われてきた私たちは幼い頃から自然と「多い方が良いに決まってる」という
偏見が潜在意識の中にあるような気がする。

その会場の中では、(あくまで私の推測だが)LGBTQの当事者の方々が多かった。
私が知る限りの世の中ではLGBTQの当事者以外の方が多い。

当事者以外の私が、会場に入った時に感じたあのアウェイ感。それは、当事者の方々が日々社会や世の中に対して感じているアウェイ感と重なるのではないか。もちろん同じではないと思う。なぜなら当事者の方が感じるものは私が感じたものより遥かに残酷なものだと思うから。

これはLGBTQだけではなく、人種や障害者差別でも同じであると考える。

当事者、それ以外、は関係なしに、世の中の全ての人が多様性について学び、自分以外の特徴や考え方、生き方を知り、「私とは違うけど、素敵だな。」そんな風に思える世の中が待ち遠しい。

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