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万物の歴史、ケン・ウィルバー


『万物の歴史』は、西洋と東洋の哲学、科学、宗教の幅広い知識体系を統合した、思想家ケン・ウィルバーによる書籍。個人/集団の内面/外面という「四象限」の区別を用いて人類を含む万物の歩みをたどり、これから人類が進むべき道筋を示してくれます。

ウィルバーの「四象限」の概念は、現代ビジネスにおける「ティール組織」の理論にも影響を与えていて、彼のインテグラル理論は、今も新鮮な示唆を与え、僕たちの時代における様々な問題――性別の役割、環境問題、多文化主義など――への理解を深めさせてくれます。


著者は、「無遠近法的」な視点で、異なる遠近法すべてを統合し、それぞれの相対性を認めつつ、より良い選択を可能にしています。しかし、この遠近法の相対性に集中しすぎると、意志と判断の麻痺に陥る危険性も指摘しています。

事業家、投資家、冒険家として、僕はこれまで多様な視点を統合し、バランスの取れた意思決定を目指してきました。ウィルバーの理論は、驚くほど幅広い知識体系を背景に置きつつ、異なる視点を認識し、統合することで、より効果的な意思決定に寄与してくれる感じがしています。

本書は、現代社会のリーダーにとって必読の書であると感じました。ウィルバーの思想に触れることで、私たちは、より包括的な視野を持ち、新たな可能性を見出せるのではないかな、と。僕自身、この本から得た知見を活用し、持続可能な未来への道を探求していきたいと思います。


””「われわれの人生における宇宙的な問いに対してだけでなく、またわれわれの時代の混乱させ、人心を不安にさせる多くのこと―-とくに男と女の変わりゆく役割、環境破壊の進行、多様性と多文化主義、抑圧された記憶と幼児の性的虐待、および情報時代における『インターネット』の役割――にも非常にオリジナルな照明を当ててくれる」(T・シュワルツによる序文)””


””質問者:あなたは世界の偉大な霊的伝統は2つの大きな非常に異なる陣営に分かれていることを発見されましたね
ウィルバー:ええ「聖なるもの」を理解する-東と西さらに言えば北と南の-様々な試みを調べてみると、そこには私が「上昇」と「下降」と呼ぶ二つの非常に種類の異なる霊性が見出されます。上昇の道は純粋に超越的で来世的です。一般に禁欲的、苦行的、ヨーガ行的であり、身体、五感、セクシャリティ、地上、肉欲の価値を減じるか、または否定する否定すらする傾向があります。それは、救済をこの世のものではない王国に求めます。顕現または輪廻の世界を、悪または錯覚に基づくものとみなします。で、車輪から完全に降りようと努めるわけです。実際、上昇論者の目には、どんな種類の下降も錯覚に基づくものもあるいは悪とさえ見えがちなのです。上昇の道は「一者」を賛美します。「多者」ではなく。「形」ではなく「空」を。「地」ではなく「天」の栄光を讃えるのです。 「下降」の道はまさにその反対を勧めます。徹底的に現世的で、「多者」を賛美します。「一者」ではなく。「地」、身体、五感、そしてしばしばセクシャリティを褒め称えます。「霊(スピリット)」を感覚世界、「ガイア」顕現権限と同一視すらし、あらゆる日の出、あらゆる月の出に、人が常に望みうる「霊(スピリット)」の全てを見るのです。それは純粋に内在的で、超越的ないかなるものも嫌悪します。事実、下降論者の目には、いかなる種類の上昇も悪に見えるのです””


””進化はある面では自己超越プロセスなのです。それは常に、先行していたものを乗り越えていきます。で、その新奇さ、出現、創造性において新しいものが生じ、新しいパターンが展開し、新しいホルンが生まれるのです。この思いもかけないプロセスは、断片から結合物を、堆積物から全体を構築します。コスモスは、創造的発生の量子的跳躍において展開していくようです。””


自己超越的な出来事



””例えば、細胞はその分子成分を超える、または乗り越えるが、またそれらを含むのです、明らかに。分子は原子を超えて含み、原子は粒子を超えて含む。ポイントは、全てのフォローは部分/全体なので、全体性は超越するが、しかし部分は包含されるということです。この超越において、寄せ集めが全体へと変換されます。包含において、部分は等しく擁護され、大事にされます。それぞれを断片であることの重荷から免れさせる共同体および分かち合われる空間の中で結びつけられて。 そう、進化は超えて含み、超えて含むプロセスです。そしてこれはまさに「働いている霊」の核心、まさに進化の衝動の秘密へと通じはじめるのです。””


””もちろん、これは「より高い」世界観がそれ自体の問題を持たないことを意味するのではありません。まさにその逆です。超越の可能性があるところではどこでもまさに同じ理由で抑圧の可能性があるのですより高いものはただ超えて含むだけでなく超えて抑え排除し阻害し分離するかもしれないのですそして世界観の出現についていく際私たちは歴史的家庭で起き今のは起きている抑圧と分離の可能性を絶えず監視していかなければなりません要点は超越できる動物はまた抑圧もできるどのレベルでもということです””
””『もしあなたが深層に気づいていれば、あなた自身および他の人々のなかの深層を真実性、誠実、信頼性によって知ることになります。肝要な点は、深層への道はごまかしによってさえぎられ、欺瞞によってさえぎられるということです。そのため、あなたは内面を認知するやいなや、内面にアプローチする上での主な障害物に直面しなければなりません。欺瞞とごまかしに直面しなければならないわけです。””


””質問者:あなたはこの自由を「無遠近法的(aperspectival)」と呼んでいますね。
ウィルバー:そうです。ジーン・ゲプサーの用語ですが。ヴィジョン・ロジックは異なった遠近法〔ここは視点と訳した方が良いと思うので、以下視点と括弧書きします〕すべてを合計しており、ですからどれか一つを他に対して自動的に特別扱いはしません。つまり、無遠近法的〔非視点的〕なのです。が、異なった遠近法〔視点〕すべてを考慮しはじめるにつれて、非常に眩惑的、非常に無遠近法的、非常に無方向的になります。そしてあなたはヴィジョン・ロジックのこうした新しい無遠近法的〔非視点的〕な意識のなかでひどく道に迷う可能性があるのです。しかし・・・すべての遠近法〔視点〕は相対的だということは、それでもあるものが他のものよりいつも相対的に良いということを妨げるものではないのです!・・・しかし、そのことを忘れ、たんに遠近法〔視点〕の相対性に集中すると、無遠近法的狂気、意志と判断の眩惑的麻痺に陥ります。「それはすべて相対的である。それゆえより良いもより悪いもなく、そしてどの姿勢も他より良くはない」というわけです。その姿勢自体が代わりのものより良いと主張しているという事実を見逃しているのです―標準的遂行矛盾です。””

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