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『熱のあとに』試写会

タイトルがあまりにも秀逸で、まさに、熱のあとを描き、さらなる熱のあとの未来を問いかけてくる。

それぞれの熱のあとが気になって仕方がない。なぜあの人ばかり救われるのか。なぜあの人に関わった人は救われない方へ行ってしまったのか。

腹がたって仕方がなかった。なぜ、腹が立つのか。

試写会後の、鈴木涼美さん×森直人さんのトークイベントを聞いていなかったら、賛否の「否」しか残せなかったかもしれない。それは同時に、己の見てきた世界の狭さとか偏りを示してもいる。

鈴木さんから見た「歌舞伎町」文化?社会?と、監督や脚本家のそれがどのくらい同じ認識をしていたのかわからないが、鈴木さんの解釈は見事すぎた。(ぜひ、ページ下のリンクから、トークショーの内容をご一読ください。)

歌舞伎町の中と外の世界を分離して考えることで(解説を聞けたことで)、私の中の不理解が少しおさまる気配がした。

外と中の話で言えば、新宿のホストを銀座や六本木で見たときの違和感がすごい、と鈴木さんが話していたのが印象的。彼らは、新宿・歌舞伎町だけで通用する価値観の中で生きている。

そんなふうな、ほかを見ないみたいな恋をした人なら、共感するんだろう。実際には刺さなかったとしても、本気で刺そうと考えたことがある、はず。やがて大人になってみて、そうじゃなかったことに気づく。(気付けぬまま、中の世界にいる人もいるかもしれない。)

気づくためには、外に出てみるほかない。社会人になったり、結婚したり、引っ越したり。違う誰かに出会ってみたり。

狂気とは無縁の世界を懸命に選んで歩んできた自覚のある私が心を寄せるとしたら、健太しかいない。しかし本当に、健太には、私には、狂気がないのか? わからないとしか言いようがない。

腹が立つのは、私にはできない生き方をしてたからだ。自分の思考に揺るぎなく進んでいける愚直さや盲目さや、あるいは素直さを、私が持ち合わせていないから。

一方で、やはりこの映画で救われる人もいるのだろうと、ようやく思えてくる。外に世界があることを知って、ああ私も、抜け出せるかもしれない、とか。抜け出していいんだな、とか。変わってもいいんだな、とか。思える人がひとりでも増えたらいいと思う。

私はこれからも、中の人と交わらないよう慎重に選んで生きていくけれど、中の人たちも、外に出た人たちも、ずっと外にいる人たちも、文字通り幸せの中にいられるよう、祈っています。どうかみなさま、お元気で。

公式サイトは画像をタップ

トークイベントの詳細な内容はこちらから。とても面白いです。


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