『正義』というマウンティングは害としか言えないのです。
SNS経由で小学生時代にあった話を読んで、私は今まで辿ってきた事の大半はまさしくこの例に現せるものだと思いました。
それは小学生の『学級会』の時間にて「誰々が掃除をサボっている」とか「誰々が忘れ物をよくするので、忘れ物をしないようにするためにはどうすれば良いのか」など、まぁ昔から普通にあるような議題があり、それを会で議題をあげその対象者を吊し上げて反省させ、最終的に謝罪をさせて、その流れを担任が見届けるというのが、その学級会の一連の流れとの事と書いていました。
だが、そういう『吊るし上げるネタ』が無くなり、いつも議題を挙げている生徒がハラスメントに感じている事まで議題にして、無理くり謝罪させて担任はただそれを見届けるだけという。所謂、この生徒の勝手な『正義感』にて気に入らない事を糾弾するのが本質かと著者も書いており、小学生の学級会までが行き過ぎた「正義」を振りかざすようになった事に危機すら感じるという事で文を締めていた。
大人の社会では既に正義を振りかざして「マウンティング」がどこかしこに存在しております。私もとある会社に居た時には、訳が解らない論理を押し付けられて仕事をされられたという経験を腐るほど(私自身が腐ってしまうのではというぐらいにブラックな環境にもいました)嫌でもしてきました。その時の上司は肩書き無ければ単なる暴力装置だったり、恫喝おやじだったりしていたので(特に中間管理職)、私はよくターゲットになりよくマウンティングをされていました。時には殴り合いの喧嘩寸前にもなったのは何度でもあります。(何故か社長とか副社長という方からは逆に良くして戴いたことが多かったので、それが余計に気に入らなかったのかもしれません。面倒くさいです(笑))そういう人間は概して正義やルールを守ることを押し付けるしか出来ないマウンティングバカです。
因みに私はこういうバカが死ぬほど嫌いです。こういうバカに殺意すら何度も抱いたこともあります。本当にバカが嫌いなので(大事な事なので2度言いました)。
と、書いてみましたが結構世間にはこういうマウンティングバカさんが多く、実はこういう人たちによって構成されているのかもと思いながらも自分にとって面倒くさい事には普段から積極的にシャットアウトしているので、何とか嫌いな方々を見なくても良くはなりました。お陰様で。
でも、こういうマウンティングバカに付き合わざる得ない立場の方々にヒーラーとして何かしらのアドバイスができればと思ってしまい、カードリーディングをしました。
このカードたちから言える事として、マウンティングがもうキツイ、もう耐えられないと思った場合に、この人との関係を保つことにメリットが有るかどうか、多少の我慢や対処をすれば価値を得られたり、自分の価値を保つことができるかを判断してください。単にお金稼ぎの為に今居るだけなら、時間の無駄ですからサッサと離れてください。
でも、その判断を下すのが難しいとの場合なら単に関係を切るという事だけではなく、自分以外の人がどうやって対処をしているのかを聞いてみるとか、今の状況について様々な観点でできるだけ客観的に眺めてみるという事をお薦めします。
ただし、それによって下した決断は生半可な気持ちな事で行わないでください。写真にある「不死鳥」のカードは『生まれ変わるぐらいの事で判断を』という意味合いがありますので。
ただ、そういう判断をするにあたってのアドバイスする人はどういう人かと言えば、目上の女性で客観的に状況判断できる人であれば立場は気にしなくてもいいです。それが「お局さん」や「セミナーで知り合った女性社長」であればひょっとしたら良いアドバイスを戴けるかもしれません。それか一時的でもむりやり離れるという方法で、何かしらの糸口が見えるかもしれません。それでも駄目ならスッパリと縁切りしましょう。人生は短いのですから。
もし、そういうマウンティングバカさんの正義に付き合うのが別に気にしないなら変なアドバイスをする必要は無いと思いますが、下手をすると貴方も既にマウンティングバカさんの候補生になっているのかも。
だとしたら、お好きにしてください(笑)
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