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旅の記憶33とマンガ「プリニウス」〜ヤマザキマリととり・みきの力作

2019年の夏、旅行でナポリを訪れた。ナポリの街から海を望むと、ヴェスビオ山が見える。この山の噴火により、ポンペイの街はこの世から消えた。西暦79年のことである。

私は、ナポリから電車に乗り、近郊の街ポンペイを訪れた。火砕流により埋もれたローマ時代の賑わいは、地中に保存され、遺跡として発掘されることになった。ローマ人が生活した場所は、どのようなところであったのか、それを見るために遺跡に赴いたのだった。

想像以上に広く、また保存状態のよい建物などから、当時の様子を感じることができる。「秘儀荘」と名付けられた館のフレスコ画は印象的だった。

ナポリ名物のピザなども堪能し満足した旅だったが、ロンドンに戻るフライトがキャンセルになるというオチがついた。おかげで、ナポリに一日余分に宿泊することになり、日本への帰国が一日遅れた。

“旅の記憶“はその程度として、マンガ「プリニウス」である。 2013年の連載開始から、10年の年月を費やし完成した。

巻頭でこう紹介されている。<本名、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23〜79年)。史上もっとも有名な博物学者。〜(中略)〜並外れた好奇心で、天文・地理・動植物の生態、絵画・彫刻など、森羅万象を網羅した百科全書『博物誌』を書き遺す。>

この世界最初の知の巨人とも言えるプリニウスに挑戦したのが、「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリととり・みきである。

なぜ、この二人の合作なのか。全12巻の各巻には二人の対談が掲載されているが、第1巻でその背景が記されている。「テルマエ」の終盤、ローマの遺跡などを描く人を募集していたヤマザキだったが、とり・みきが手を挙げ、ヤマザキはその画力に<腰を抜かしたわけです>。

<次は絶対「ガチンコの古代ローマだ!」>と考えたヤマザキ、それにうってつけのプリニウスを描くに際し、「テルマエ」の経験から、とり・みきを誘おうと考えたのだ。

こうして始まった「プリニウス」は、とり・みきが<ヤマザキさんが主に人物の画などを担当して、僕は建築物や自然描写など古代ローマの風景を描き>と話している。ただし、この分担は物語が進むにつれて、微妙に変化しているだろう。

こうして出来上がったマンガは、二人のプライドのぶつかり合いのようなものも感じる、迫力ある画面になっている。そして、ヤマザキ主導で展開してるであろう物語も、二人のアイデアのせめぎ合いにより、厚みのあるものになっている。

物語の冒頭は、ポンペイを襲ったウェスウィウス(ヴェスビオ山)の噴火から始まる。私が見たポンペイの街が滅亡する場面である。この自然現象を、プリニウスは好奇の目で観察する。

このプリニウスの人生におけるハイライトを提示した後、物語の時間は巻き戻され、彼の人生を追いかけることになる。そこでは、プリニウスのみならず、その時代の皇帝ネロと側室ポッパエア、市井の人々と共に、当時のローマ帝国の様子が描かれる。私が見たポンペイ遺跡で営まれていた人々の生活が、生き生きと再現されるのである。

プリニウスは話す。<たとえどんなに高度な文明を築き上げても 自然の力に勝てたことはない・・・>

プリニウスは、人間は自然に対してあくまでも謙虚であらねばならず、そのためにも自然を知ることについて貪欲でなければならないと考えていた。

それから2000年近い時が経過しているが、我々はますます傲慢になり、地球に生かせてもらっていることを軽視してきたのではないか。

プリニウスの生き様とともに、“ガチの古代ローマ“を見ることができる力作である


“旅の記憶32“はこちら


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