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国際大学という多様な世界〜32年振りのキャンパス

東京駅から上越新幹線に乗り、新潟に抜けると越後湯沢駅、そして次が浦佐駅。国際大学の広大なキャンパスは、雪深いこの地にある。

産学共同で創立されたのが、1982年。大学院のみを設置する大学院大学であり、授業は英語、それは今も続いている。当初は、国際関係学科のみでスタートしたが、1988年国際経営学科いわゆるMBAが設置され、私はその1期生として勤務していた会社から派遣留学した。

90年に無事卒業したのだが、海外勤務などもあり、キャンパスを訪れることはなかった。今回、大学の設立40周年ということもあり、従来から行っていたインターナショナル・フェスティバル(南魚沼市との共催)に合わせて、卒業生のイベントも行われるということで、32年振りにキャンパスを訪れた。

同級生とも再会し、当時を懐かしんだ。何と言っても、携帯もインターネットもない時代。Amazonの影も形もない頃である。大阪・東京しか知らない私にとっては、情報から遮断された陸の孤島にも思えた。本1冊買うにも大変、新潟まで高速道路で1時間半である。

久方ぶりに訪れた学校、大学の建物、キャンパスはさして変化はないように見えるが、こうした生活インフラは大きく変わっているはずである。

フェスティバルでは、体育館に作られたステージの上で、留学生たちがお国柄を反映した歌や踊りを披露していた。ベトナム、フィリピン、モンゴル、アフリカ連合、東ティモールなどなど。現在、学生は300名、8割が外国人で国籍数は52。これだけの多様な文化が一堂に介している場所は、それほど多くはないと思う。

地元の人も多く訪れ、学生の練習の成果を温かく見守ってくれていた。スマホで熱心に動画撮影していた、女子高校生の姿が印象的であった。

大学の食堂、私の時代、忘れられない光景があった。一人の女子留学生が食堂のスタッフに、「豚を調理していないフライパンで作られているか?」と尋ねていた。1988年当時は、そんな配慮は存在していなかった。今の学生食堂は、ハラル対応になっており、ポットに入ったコーヒーにもハラル対応と明示されていた。この日はフェスティバルとあって、メニューにジョージア料理のシュクメルリがメニューにあった。

卒業生の為のバーベーキューで調理してくれていたのは、地元でケータリング会社を設立した卒業した留学生、他にも地元企業との協働しているプロジェクトもあるようで、私がいた頃に比べると、地元とのコラボレーションも強化されている様子だ。

多くの留学生はアジアから来ている。地域の企業の中には、アジアの市場に進出したいが、どうして良いのか分からない人も多いだろう。この学校には、それを助けてくれる人材が多数いるはずだ。

コロナが多少落ち着き、ようやく開催することができたイベント、天候にも恵まれ美しく光る草木、足元をはねるきれいな緑色の小さなカエルを眺めながら、学校のポテンシャルを感じた


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