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終劇「シン•エヴァンゲリオン劇場版𝄇」〜“エヴァをめぐる冒険”(その5)

遂に、エヴァンゲリオンを巡り終わった。Amazon Prime Videoで「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を観た。 (前回記事はこちら

前作の「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の公開が2012年、それから10年近くが経過した2021年3月に劇場公開された。 ファンの方は待ちくたびれたことだろう。TV版の放送開始が1995年なので、終劇まで四半世紀を要した。繰り返しだが、私はこれらを数ヶ月で観たわけなので、コアなファンとは感じ方が違うだろう。

前置きはさておき、総括的な結論を言うと、素晴らしい完結篇だったと思う。「シン」で締めることにより、新劇場版4作はそれぞれが起承転結の役割を見事に果たしたこととなり、総体としての完成をみた。また、“転”にあたる「Q」は非常に重要なパートであることを再認識した。

そして、この世界を閉じる最終作は、映画としての出来、アニメとしてのクオリティがこれまでの作品に比べ、ステージが大きく上がっている。特に、後者は技術の発展も伴ってか、素晴らしい映像作品となっており、中でも冒頭のパリの戦闘シーン、中盤のエヴァ2機の躍動は感動的でもあった。

ここからは、少し内容に踏み込むので、若干のネタバレを含む。あくまでも私なりに感じた「エヴァ」である、念の為。

「エヴァ」を見始めると、“父と息子”がテーマなのであろうと感じる。しかし、旧世紀版(TV/旧劇場版)では、これに対する回答は出てこない。

物語は、主人公碇シンジらがエヴァンゲリオンのパイロットとして“使徒”と呼ばれる外界からの敵と戦うところから始まる。それを司るのは、シンジの父、碇ゲンドウらが率いるネルフという組織である。

しかし、この戦いとそれを通じたエヴァの進化はゲンドウが企む、人類補完計画の一環であることが判明、この計画に反対する人々がネルフを離れヴィレという組織を作り、ネルフと対峙する。そして、シンジはヴィレと共に行動する。

こうして、父と息子の対決の最終構図が新劇場版によってセットアップされる。人類補完計画とは、化学の力で人間をさらに高度なものに昇華させようとするものであり、その背景にあるのはゲンドウの亡き妻を忘れられない心や、“子ばなれ”できないゲンドウとその妻の亡霊が見える。

一方で、シンジは成長できていない“バカシンジ”であり“ガキシンジ”、未成熟の存在だ。その成長を促し、親離れの為に背中を押すのは、女性であり友人である。「シン・エヴァンゲリオン」において、傷心のシンジはかつての学友たちが暮らす、戦後あるいは天災後の昭和日本のような集落に身を置く。自らの力と他者の優しさの中で成長していく社会である。「シン」の中で、私が最も好きな箇所でもあり、これこそが守るべき世界であることを認識させる。

悩める中で、シンジは父のとんでもなく“お節介”な成長支援に対して違和感を感じていき、自ら“落とし前をつける”ための行動を開始する。この“落とし前”を描いたのが、「シン・エヴァゲリオン」であり、最後の父と息子の対決場面を通じて、旧世紀版とも繋がった。

こうして、シンジはようやく“成長ストーリー”を形成するための社会を取り戻し、長いドラマは終劇となる。なお、タイトルの最後につく「𝄇」は音楽記号で“最初に戻って繰り返し”である。最終シーンの後は、再び同様のドラマが繰り返されるという暗示なのだろうか、それとも最初に戻って見直しましょうということなのか(ちなみに、私はTV版も含め、殆どを2回以上観ることとなった)


献立日記(2021/11/4)
しぶちか PARIYACARVAANからテイクアウト


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