私にとっての桂春団治〜三代目の美しき芸

「おちょやん」で、天海一平が演じたのは初代 桂春団治、1934年に春団治を襲名し、戦後まで活躍したのが二代目 桂春団治。私は、当然舞台を観ていない。私にとっての春団治は三代目である。

上方落語の世界で、“六代目”といえば、六代目 笑福亭松鶴、“三代目”といえば三代目 桂春団治を指す。戸田学著の「上方落語の四天王」という本の第四章は“春団治の世界”だが、春団治には(さんだいめ)とルビがふってある。

上記の二人に、桂米朝五代目 桂文枝を加えて、上方落語の四天王と呼ぶ。戦後、“六代目”の父、五代目松鶴、“三代目”の父、二代目春団治らの大御所が相次いで他界し、風前の灯火となった上方落語界を背負い、発展させたのが、この4人である。自然なのか、必然だったのか、この4人の芸風はそれぞれ違う。

今回は、三代目 桂春団治について書く。春団治の芸は、流麗である。三代目は踊りの名手でもあり、戸田学は<舞踊と落語の融合>と評する。さらに、<面白落語を極めた初代>、<初代の芸風を踏襲しつつ(中略)本格派の芸をも取り込んだ二代目>、<三代目は、この二代の春団治と芸風をまったく異にする>と書いている。

無駄を削ぎ落とした語りと、指先まで美しい所作が三代目の高座を美しいものにしている。出囃子「野崎」にのって舞台に登場すると、客席に向かって一礼し、高座に上がる。必要最小限のマクラをふり、羽織を脱ぐ。この動作自体が芸であった。少し袖を長めに仕立てた羽織、豪華な紐を解くと、両袖を軽く握り、スッと一気に羽織を肩から落とす。

私が幸運だったのは、ロンドンから帰国し日本にいた2003年から2008年、春団治の高座を東京で見ることが何度かできたことである。春団治、70歳代、まさしく円熟の極みであった。

春団治は、極端と言えるほど、演目を絞っており、本人によると11席となる。その全てが、完璧なまでに磨き上げており、他の演者を寄せ付けないものとなっている。そのいくつかは、生で観ることができたのだが、まず打ちのめされたのが、「親子茶屋」だった。

道楽ものの若旦那が、遊びにいった茶屋で、店では堅物でとおっている父親に偶然出くわす噺である。親父が、茶屋で芸者と“狐釣り”という目隠し鬼のような遊びに興じるのだが、大阪難波新地の賑やかなお茶屋が眼前に浮かび上がった。

もう一席は「皿屋敷」。お菊の幽霊が登場する、怪談噺である。ハイライトは、お菊の幽霊が出ると言われる車屋敷に、怖いもの見たさで地元の仲間が向かう場面である。鳴り物をバックに、“歩く”春団治の、ほとんど言葉を発しない“話芸”、見事であった。

団菊ジジィのようにはなりたくないが、こんな落語家は、もう出ないだろう


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