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「ジュリーがいた」を読み〜ザ・タイガースの映画3本を観る

週刊文春誌上で、島崎今日子が「ジュリーがいた」という短期集中連載を展開している。ジュリー、今の人は分からないと思うが、沢田研二のことである。その名前すら、若い人は知らないかもしれない。

子供の頃、最初に認識したアイドル・グループはザ・タイガースであり、その中心はジュリーだった。 ジュリーが“君だけに愛を”歌い、客席を指さすと女性ファンが熱狂した。私も、その状況をテレビ越しに体験していた。1968年、私はまだ6歳である。そして、その年に発売されたシングル・レコード、「花の首飾り」「青い鳥」(B面の“ジンジン・バンバン”も好きだった)を買ってもらい、小さなプレーヤーで繰り返しかけていた。

1969年沢田研二とともに、リードボーカルを担っていた加橋かつみが突然脱退する。その後釜として、岸辺シローが加入する。私は7歳だったが、その時のことをよく覚えている。子供心に加橋の脱退に不可解な事情を感じ、岸辺シローがただ立っているだけで何もできないことをに憤っていた。その動向が子供にも知られるほど、タイガースという存在はメジャーなものだった。

前述の「ジュリーがいた」の第5回では、ビートルズやローリング・ストーンズを目指すメンバーの思いと、アイドルグループとしてタイガースを売り出そうとする渡辺プロ側の方針のズレ、そして内部からの崩壊の状況が書かれている。子供の私には知るよしもなかった事情である。

不安定な中で迎えた人気絶頂時、タイガース主演の映画が3本作られたが、日本映画専門チャンネルが沢田のソロデビュー40周年記念として放送した。一本目の「世界は僕らを待っている」はおバカSF、「華やかなる招待」はバンドとして成功することを夢見る若者を描く。「ハーイロンドン」はロンドンでのロケは嬉しいが、中身はおバカファンタジー。いずれも映画として完成された作品にはなっていないが、当時の空気を感じる意味では、観たかいはあった。

「ジュリーがいた」を読んだ上で、観ていたため、「こんな映画撮らされてタイガースはさぞかし嫌だったろう」、「ジュリー以外は、おもしろくなかっただろう」などと考えていた。映画の主役は、もちろん全てジュリーである。

沢田研二のカリスマ性が高まれば高まるほど、他のメンバーとのギャップは広がり、遠心力が強くなっていく。沢田の給料が他のメンバーより高くなる、<まだ若かった他のメンバーには葛藤があったに違いない>。岸辺一徳のコメントが引用されたいた。<タイガースは沢田あってのバンドだったことは事実なのに、それが見えなくなっていたんやな>。

タイガースは1971年1月に解散するが、その前年の8月22日田園コロシアムで開催されたコンサートについて、「ジュリーがいた」は言及する。半分はグランドファンクやCCRなどのカバーで構成されたコンサートは、彼らが本当はやりたかった音楽であり、<音楽番組でみた彼らとは桁違いのカッコよさだ>と書かれている。確かに、YouTubeに映る沢田研二は魅惑的である。

私がテレビ越しに観たものとは違う、そして3本の映画とは対極にあるものを、彼らは求めていたのだろう


献立日記(2021/8/23)
焼鳥いろいろ、うなぎ串(武蔵小山「鳥勇」)
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厚揚げ生姜
たまごサラダ(とよんちのたまご)
枝豆



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