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ジャン=ポール・ベルモンドの思い出〜“格好良い“「勝手にしやがれ」

先日、フランスの俳優、ジャン=ポール・ベルモンドの訃報が入ってきた。彼の映画を沢山見ているわけではないが、真っ先にジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」を思い出した。

1960年の映画、名作との誉れ高かったが、観る機会が訪れたのは、大学時代。雑誌「ぴあ」で名画座の上映スケジュールをチェックし、映画館に通っていた頃だ。「勝手にしやがれ」と同監督の「気狂いピエロ」の2本立てだったと思う。 「勝手にしやがれ」は面白いと感じたが、「気狂いピエロ」はよく理解できなかったことを覚えている。 ただ、その「勝手にしやがれ」も、同時期に見た「タクシードライバー」やアメリカン・ニューシネマに比べると、掴みどころのない映画だった。

以来、もう一度見たいと思いながら機会がなかった「勝手にしやがれ」、UーNEXTで配信されていたので観た。

冒頭、ツイードのようなジャケットに無地のネクタイ、つば付きの帽子を目深に被ったジャン=ポール・ベルモンドが咥えタバコで登場する。これが、おしゃれで“格好良い”。フランスにおいてベルモンドはアラン・ドロンと並び称されるが、後者は典型的な美形であることに対し、ベルモンドはちょっと三枚目、そこが憎めなく可愛らしさがある。また、そのことが彼の独特の“格好良さ“に繋がっている。

改めて観ると、全編“格好良さ“で貫かれた映画だった。アンリ・カルティエ=ブレソンなどの優れた写真を観ると、そこにはドラマが感じられるが、そうした写真を連続的に観ているような映画である。そして、背景にあるのはパリの街、カフェ、アパルトマン。

共演のジーン・セバーグがまた良い。記者を目指しているが、何かふわふわしていて掴みどころがない。そう、映画は“ふわふわ“と進んでいく、それは普通の日常のようでもあるが、ドラマは非日常であり、その背後にあるものを感じるのは観るものの感性であるように感じた。

ゴダールの才気も改めて感じ、未見の作品を観たくなった。「気狂いピエロ」も、今観たらもう少し理解できるのだろうか


なお、原題の「À bout de souffle 」は、“息切らして“という意味で、英語でのタイトルは「Breathless」となっている。「勝手にしやがれ」、見事な邦題だと思う。

私は配信で観たが、NHK BSで9月16日放送予定である 


献立日記(2021/9/14)
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