あさま山荘に至る道〜山本直樹「レッド」その2
「レッド」の前半は、おびただしい数の人物が登場する。名前と顔を一致させフォローするのが難しいが、あまり気にせず読み進む。そして、物語の中で、命を落とすことになる人物には、①といった数字が付きまとう。数字は、物語から消える順番を示す。
作者は、<なぜこんな真面目な人物が命を落としてしまうのか? なぜこんなどうしようもないやつが生き残っていくのか? そこにも人間の運命のおかしさや悲しさが見えてくるはずだ>と書いている。
あさま山荘に至る道は、「なぜ?」の連続である。なぜ、この時代学生運動から革命へと転じていったのか? なぜ、武力闘争にしか道を見出せなかったのか? なぜ、「総括」という名の処刑へとエスカレートしていったのか?
登場人物は、巻が進むごとに減っていく。最終巻の手前、「レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ」の第4巻にはこう書かれている。<山岳アジトに参加した者37名 逃亡者離脱者8名 乳児1名 逮捕者5名 死者15名(山岳アジト以前を含む) 残り9名>
それは当然とも言える。読者の立場で一連の闘争を眺めると、武力による革命など合理的な活動とは到底思えず、脱落していく人間が出るのは当然であり、留まる人間も外向きのエネルギーを徐々に失い、「処刑」という名の内部崩壊につながる。この狂気のプロセスを、山本直樹は正面から描いている。
そして狂気のプロセスを主導した、赤城(永田洋子)と北(森恒夫)は、あさま山荘事件の前に逮捕される。一連の闘争は、本来はここで区切りがついたはずで、あさま山荘は“成り行き”の産物のように見える。 最後、機動隊が突入する直前、谷川(坂口弘〜永田洋子の元夫)は「やっと総括できたな」とつぶやき、笑って逮捕される。
物語の先、谷川(坂口)は、1975年、日本赤軍によるクアラルンプールにおける米国大使館襲撃時の人質交換として、釈放を提案されるが、「武装闘争は間違った闘争」として拒否する。それが、彼の“総括”だったのだろうか。
なお、このマンガはフィクションとしているが、最終巻「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」のあとがきで主要人物の植垣康博(作中では岩木)が、<この作品のすごいところは、事実を無視した創作が持ち込まれていないことである>と書いている。
エンディングには、その後の出来事がいくつか記載されている。70年代には日本赤軍などの闘争の名残があるが、80年代には消える。一方で、地下鉄サリン事件、アルカイダによる9/11が挙げられている。「間違った闘争」は、形を変えながら日本を含め世界各地でおこっている。これからも、消えることはないように思う。なぜだろう?
献立日記(2021/8/26)
鶏肉・豚肉 塩麹漬け ローズマリー風味
蒸しなす ピリ辛だれ
ズッキーニのサラダ
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