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夏休みの宿題は必要なのか?〜本当の自由研究とは

二学期が始まったらしい。我が家の娘は二人とも社会人なので、よく分からない。

妻が帰宅して、職場の同僚が「子供がギリギリまで夏休みの宿題をしなかった」という話をしていたらしい。テレビでもその手の話、「夏休みの宿題、親が手伝うべきか」「自由研究が大変」といったような話題が流れていた。

週刊文春の9月1日号、伊集院静の連載「悩むが花」にも、<小学三年生の息子が、夏休みの宿題をいっこうにやろうとしなくて困っています〜(中略)〜どう諭せばよいのでしょうか>という相談が寄せられ、伊集院さんは、子供が宿題をやらないのは<そりゃ当たり前だ>、<諭すも何もない>とし、 <叱りつけ、怒りとおして、二度と言い訳しないようにするんだよ>と切り捨てる。

自分の小学生の頃を思い返すと、“夏の友“というワークブックが配られたが、それは終業式の日に帰宅して1日で全部終えた。低学年の頃、工作の宿題が出たと思うが、母親が手伝った。絵日記もあったように思うが、適当に形をつくろったのだと思う。要は、あの宿題から何かを得た記憶はない。

妻と同僚との会話に戻ると、妻が「ウチはロンドンにいたから夏休みの宿題なんてなかったからねぇー」、「えー!」という反応が返ってきたらしい。

正確には上の娘は4年生まで日本の学校に行ったので(追記:妻から「長女がイギリスに行ったのは小学校3年」と注意された)、夏休みの宿題はあったはずだ。私は手伝った覚えはない。その後はイギリスで、現地の学校は夏休みの宿題などない。家族で旅行に行ったり、キャンプなどのアクティビティや普段はできない乗馬のレッスンを受けたり。娘たちは音楽をやっていたので、室内楽のコースに参加したりもした。

それぞれの子供・家庭のやりたいことをやる期間であり、まさしく“自由研究“の時間。それについて、学校に報告する義務などない。“自由研究“が義務になったら、“自由“ではない。

こうやって考えていった時に思った。果たして夏休みの宿題、特に小学生について、必要なのだろうか?

「宿題がなければ、子供が毎日ダラダラと過ごしていまう」という抗議がありそうだ。小学生の子供が苦手なのは、“ダラダラ“過ごすことである。ゲーム、テレビ、外での遊びなどなど、何かしら面白いことを見つけて取り組む。それが子供の特性である。学校や親に求められているのは、面白そうなテーマ・アイデアを提示することであって、“自由“を強制することではないだろう。

妻は、「“休み“なんだから休むのよ」と言っていた。

子供に、親に、そして教師に負担をかける“夏休みの宿題“、どういった教育的効果があるのだろうか?
盲目的に前例踏襲しているだけなのではないだろうか?

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