十三代目團十郎襲名と八代目新之助の初舞台〜成田屋の繁栄を願う
私が勝手に思っているだけなのだが、十三代目市川團十郎白猿には、縁のようなものを感じる。
2004年の十一代目市川海老蔵襲名披露興行。前年、日本に帰国したばかりで、歌舞伎座を訪れることができた。出し物は「助六」。揚巻には坂東玉三郎。花道側、2階のサイドブロックの席。花道から出てくる時には、反対サイドに回って、遠目に眺めたことを覚えている。
2008年に再びロンドンに赴任するのだが、2010年に海老蔵はロンドン公演を実施、現地で「義経千本桜」を観劇した。
2014年に私は帰国したのだが、その後の2017年の6月に、海老蔵の奥様が亡くなる。同年8月に私と妻は、ハワイに旅行する。朝、ホテルで朝食を取っていると、海老蔵と二人の子供がいるではないか。母親を亡くした子供たちと、少しの間でも一緒にいる時間を作っているのだと思った。
私は、毎朝、ビーチを散歩していたのだが、海老蔵家族も静かな海辺を散策していた。小さな弟を心配して、その手をひく現市川ぼたんの姿が印象的だった。
その後も、何度か歌舞伎座の舞台を観に行ったが、遂に市川團十郎白猿襲名となった。同時に、あの小さかった堀越勸玄君が、父親の前々名である市川新之助を名乗り、舞台に本格的にデビューである。
私が行ったのは、11月20日昼の部。おめでたい「祝成田櫓賑(いわうなりたこびきのにぎわい)」で客席が温まった後は、「外郎売(ういろううり)」。敵役の工藤祐経には尾上菊五郎。外郎売実は曾我の五郎に市川新之助である。花道から堂々とした登場を果たす新之助。舞台中央に位置すると、狂言半ばではあるが、口上。菊五郎の導きで、成田屋の芸の継承を宣言する新之助、とても9歳の少年とは思えない。
芝居は、祐経に促され、外郎売の言い立てに移る。この早口言葉が見どころの一つであり、TVでも紹介されている。もちろん、立派に言い立てるのだが、それだけではない。むしろ、新之助の所作、見得が見事で、年少ながら色気すら感じさせるところが、末恐ろしいと思う。
休憩後は「勧進帳」。もちろん、成田屋歌舞伎十八番の一つのお家芸である。富樫には松本幸四郎。自身の襲名の際は弁慶を演じた高麗屋が、今回は富樫に回る。源義経には市川猿之助。襲名披露ならではの、華やかな配役である。
義経・弁慶に同行する家来。常陸坊海尊には成田屋を支える片岡市蔵。そして、亀井六郎に坂東巳之助(三津五郎の長男)、片岡八郎に市川染五郎(幸四郎の長男)、駿河次郎に尾上左近(松緑の長男)と、次世代のホープが並ぶ。
安宅の関を通過するために、関守の富樫の面前で勧進帳を読む弁慶。さらに、疑いを晴らすために義経を打擲する。感じ入った富樫は一行を通すことにする。この後、弁慶は主君に対する非礼を詫びるのだが、このシーンが良かった。弁慶の剛と情が見事に合わさった姿を團十郎は演じ、迫力と内面を彼の持つオーラと共に発露した。
再度、富樫が登場し弁慶に酒を勧め、弁慶は延年の舞を舞う。クライマックス、花道にひれ伏し、富樫に無言で感謝の意を捧げる弁慶、團十郎は見物にもお礼を言っているように見えた。そして花道を飛び六方で去っていく。見事な襲名の舞台であった。
市川團十郎には、保守と革新の両方が要求される。歌舞伎全体としてもそうであるが、それを体現するのが團十郎である。そして、そのライバルには、やはり両方を追求する幸四郎がいて猿之助がいる。
若い才能も含め、これからの歌舞伎を感じた襲名披露だった