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大阪、東京、そしてパリ〜佐伯祐三展@東京ステーションギャラリー

私のランチ・エリアの一つは、東京駅丸の内北口から八重洲方面への通路周辺。「dancyu食堂」、ラーメンの「神座」「釜竹うどん」などがある。ハンバーグの「極味や」は、いつも長蛇の行列である。

その際、脇を通るのが東京ステーションギャラリー。1月21日から佐伯祐三展をやっていて、行こう行こうと思いながら、遂に終了間近になってしまった。同じ状況の人が多いのか、昼時のせいでもあるのか、若干の行列ができている。めげずに並ぶと、さほど待つことはなかった。

佐伯祐三、私はほとんど知識がなかったが、ポスターに使われた「郵便配達夫」が魅力的だったことが、足を運ばせるきっかけである。

佐伯祐三は1898年(明治31年)、大阪に生まれる。東京美術学校に進み、1923年パリに渡る。1926年に帰国するが、翌年再び渡仏する。結果、初期には大阪・東京、1回目のパリ、 そして再び大阪・東京が描かれる。2度目のフランスでは、パリとパリから東に50kmほど行った村、ヴィリエ=シュル=モランをキャンバスに写す。

東京・下落合、大阪の“滞船“も味があるのだが、パリを中心としたフランス滞在中の絵からは、芸術の中心にいることからくる興奮、喜び、もっと良い絵を描こうという情熱を感じるのは、私だけだろうか。

ヴラマンクとのエピソードが面白い。初めてパリの地を踏んだ翌年に、佐伯はフォービズムの巨匠ヴラマンクに紹介される。佐伯が自作を見せると、ヴラマンクは「アカデミック!」と一喝される。

確かに展示されているいくつかの作品は、西洋絵画の巨匠のスタイルを勉強しているかのような印象を受ける。そして、ヴラマンクの助言(!?)の影響もあってか、パリの街を描いた作品群はとてもオリジナルなものになっているように思える。

展覧会の最後は、2度目の渡仏後の1928年に描かれた数点。これが全て素晴らしい。「郵便配達夫」「ロシアの少女」「黄色いレストラン」「扉」。中でも「黄色いレストラン」が、私にとっては本展のベストである。

同年、佐伯祐三はパリの郊外で客死する。30歳という若さだった。


東京会場は終了したが、4月15日から6月にかけては、大阪で開催される。
また、アプリ「聴く美術」経由で配信されている音声ガイドは、期間中何度でも聴くことができる。アプリには絵も表示されるので、展覧会に行かずとも雰囲気を味わうことができる。ナビゲーターは有働由美子、佐伯と彼女は北野高校(旧制中学)の先輩・後輩の関係でもある



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