手の中の音楽20〜ボブ・ディラン「武道館(At Budokan)」への道のり(その1)
今年は、ボブ・ディランのデビュー60周年である。1962年3月にレコードが発売されたので、ほとんど僕が生まれた頃に世に出た。そして、僕がボブ・ディランという人を認識したのは、11歳の時、フォーク・グループGARO(ガロ)のヒット曲「学生街の喫茶店」である。歌は次のように始まる;
君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ
学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン
当時は知らなかったが、作詞はヒット・メーカーの山上路夫。「学生街の喫茶店」が発売された1972年だけとっても、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、アグネス・チャン「ひなげしの花」といった作品がある。なお、「学生街の喫茶店」がヒットしたのは、翌1973年である。
この歌詞にあるボブ・ディランはどうやら有名な歌手らしいということは分かったが、その曲を実際耳にしたのが何時かは記憶にない。中学生になり洋楽を聴き始め、ラジオなどで“風に吹かれて”や、”ライク・ア・ローリング・ストーン”などは耳にしただろう。ボブ・ディランは、未だ来日しない大物アーチストの一人で、真偽のほどは定かではないが、ディランは「英語のわからない人が多い日本では演奏したくないらしいで」と友人が話していた。
そのディランが遂に来日したのが1978年の2月から3月、僕は高校の1年目を終えようとしていた。この年、僕が行ったコンサートを調べてみると;
レインボー
ジェフ・ベック+スタンリー・クラーク
ヴァン・ヘイレン(初来日)
フォリナー(初来日)
リッチー・ブラックモア率いるレインボーは、18公演を予定したが、札幌公演で死者を出した。僕が行ったのは、その前に行われた大阪公演だが、友人が最前列で他の観客と小競り合いを繰り広げた。そんな時代である。ボブ・ディランの初来日は、当然大人気となり、レインボーにつぐ11公演。大阪公演もあったが、当時の僕たちには敷居が高く、行けていない。
ディランのこの歴史的な初来日の模様は、その後ライブアルバムとなり発表される。そして、このアルバムが、僕にとって本格的なボブ・ディラン体験の入り口となった。
明日はその「武道館(At Budokan)」について
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