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元巨人デービー・ジョンソンの記録と記憶〜日本経由で名監督に

メジャーリーグのレギュラー・シーズン、本日が最終日である。連日、大谷とライバルの動向を追うために、MLBのオフィシャルサイトを見ていた。すると、ふと懐かしい顔が出ていた。“Most HRs by 2B”という見出しで、元巨人のジョンソンの写真が出ている。

アメリカンリーグのホームラン王は、トロント・ブルージェイズのゲレーロJr.と、カンサスシティ・ロイヤルズのキャチャー、ペレス。これまで捕手の最多本塁打はジョニー・ベンチの45本、その年、捕手として唯一の本塁打王となった。 ペレスはその記録を更新した。

そして、100打点を達成した大谷(ちなみに、大谷は3塁打王ー8本ーである)の次にホームランを打っている選手は、トロント・ブルージェイズのマーカス・セミエンで45本。これは、二塁手としての最多本塁打記録を更新しており、これまでの記録保持者がデービー・ジョンソン(1973年43本)なのである。

ジョンソンは、長嶋引退の穴を埋めるべく、1975年現役大リーガーとして鳴り物入りで入団した。二塁手としての最多本塁打43本を記録したのは、1973年である。慣れない3塁を守り、日本の野球への適用に苦しみ、成績は振るわず、ファンの失望をかった。当時は巨人ファンであった私も、大いに落胆した。

ところが、翌年、本来の2塁に回ると、見違えるように動きがよくなり、ホームラン26本、打率.275を記録した。ただし、はるかに強烈な印象を残したのは、その守備だった。流れるようなプレーは、これぞメジャーという動きだった。しかし、この年をもって、ジョンソンはアメリカに戻ってしまう。

ジョンソンが再び目の前に現れたのは監督としてだった。1984年、マイナーリーグでの監督経験を経て、ニューヨーク・メッツの監督に就任、8年ぶりの勝ち越しと地区で2位という成績を残す。

そして、1986年歴史に残るワールドシリーズで、メッツはレッドソックスを下し17年ぶり2度目のチャンピオンになる(その後も、メッツの優勝はない)。ジョンソンのマネージメントは賞賛され、その秘訣の一つに日本での経験も取り上げられていたと記憶する。

セミエンの活躍で、久方ぶりにジョンソンのことを思い出した


献立日記(2021/10/3)
おでん



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