“クィーン”からマルクス兄弟へ〜「我輩はカモである」その2

「世界の喜劇人」で小林信彦は、マルクス兄弟に関する本を書いたアレン・アイルズの<「 『我輩はカモである』は、他のマルクス兄弟映画と隔絶している」>という言葉を引用しつつ、大ヒットした「オペラは踊る」との比較において、<その優劣はあまりにも明瞭である>とし、「我輩はカモである」の<わけのわからなさ>は、<まさに、マルキシズムの真骨頂といってよい>と評価している。

ちなみに、米映画評サイト“Rotten Tomatoes”が昨年発表した、“150 Essential Comedy Movies To Watch Now”では、「カモ」は7位、「オペラ」は38位となっている。

久しぶりにこの映画を観て、その面白さを純粋に楽しんだとともに、その笑いの“新しさ”に感心した。1933年の映画である。100年前とまではいかないが、それに近い昔々に作られている。にも関わらず、そのギャグの数々は、今TVで流れているコントよりもさらに先を行っているように感じる。

映画の舞台は架空の国、“フリードニア”。そこに、グルーチョ・マルクス扮する(扮するも何も、グルーチョは常にメガネに墨で塗った口ひげ姿で登場するのだが)、変な独裁者が登場する。当時台頭するファシズムへの批判でもある。チャップリンの「独裁者」が公開されるのは、「カモ」の後、1940年である。

そこに隣国からスパイとして送り込まれるのが、チコ・マルクスとハーポ・マルクスの二人組である。そして、“わけのわからない”ドタバタが展開される。

マルクス兄弟の難しいところは、“言葉遊び”が多く登場し、これが字幕では伝わりにくい。(但し、NHKで放送されたものに付された、宮坂真央の字幕は素晴らしかった)一方で、動きで伝えるシークエンスは、分かりやすく、特にチコとしゃべることをしないハーポのやり取りは、私の大好物である。

二人がレモネード屋をからかうこのシーンは、その代表的なものである。ハーポは、言葉を発しないが、表現力豊かで、二人がグルーチョの執務室に入り込み、グルーチョの質問にハーポが応えるシーンが、こちらである。グルーチョの質問は、「お前は一体誰だ?」、「近代絵画はよく知らない、名人の作品はないのか?」、「悪くないね、彼女の電話番号持ってたりしない?」、「お前はなかなか役に立つ。どこに住んでるの?」、「狭いながらも、我が家だな」という感じである。

最後に、“わけのわからない”成り行きで戦争に突入する。それがこの場面である。ウディ・アレンはマルクス兄弟のファンであり、影響を受けているが、その作品「ハンナとその姉妹たち」の最後で、ウディ・アレン演じる主人公が映画館に入り、「これまで何度も観た」映画を観て元気を取り戻すシーンがあるが、その時使われているのが、このシーンである。

なお、「オペラは踊る」も間違いなく傑作であり、「カモ」に比べると“わけのわからなさ”がマイルドな分、一般受けしやすい。こちらは、やU-Nextといった配信において、「マルクス兄弟オペラの夜」というタイトルでアップされている


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