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映画「真昼の決闘」を知る〜謙虚になろう

新年最初の木曜日、「ラジオビバリー昼ズ」で、パーソナリティの清水ミチコがナイツに映画「ジョーズ」を観たという話をしていた。「超有名映画だが観たことはなかった。サメとの戦いかと思っていたら、人間ドラマでさすがスピルバーグ」といった趣旨のコメントだった。

私は、「ちょっと清水さん。私より年上なんだから『ジョーズ』くらい見ておいて下さいよ」と思っていた。

この話題は、翌週にも引き継がれ、「有名な映画で見たことのない作品」について話されていた。その中で、ナイツの塙が「今月始まるドラマ『逃亡医F』について、“無実の医者が逃げるという設定が斬新“とコメントしたところ、以前からあると言われ、恥をかいた。ところで、その作品は何?」と。さらに、それは、ハリソン・フォード主演の映画「逃亡者」だということで落ち着いていた。

「ちょっと待ってよ。デビッド・ジャンセンの『逃亡者』でしょ」と、私は心の中で突っ込んでいた。塙は仕方がないが、清水さん、お願いしますよ。

帰宅後、妻不在で一人だったので、撮り溜めている映画でも見ようと思い、引っかかったのが1952年制作の「真昼の決闘」(原題:「High Noon」)。ゲーリー・クーパー主演の超有名西部劇だが、未見であった。

出演者が映し出され、グレイス・ケリーの名が。監督は「地上より永遠に」のフレッド・ジンネマン。冒頭から、悪者と思しき3人組が映し出された後、保安官ウィル・ケイン(クーパー)とエミィ(ケリー)の結婚パーティーのシーンへ。ケインは保安官職を後任に渡し、2人はハネムーンへ旅立とうとする予定。そこにかつてケインが捉え投獄したフランク・ミラーが釈放され、正午に到着する列車で街に戻ってくるという情報が入る。前述の3人はミラーの仲間である。

保安官ケインはハネムーンの予定を変更し、街に戻ってくる悪漢どもをやっつけて、街の平和は維持されるという、典型的な西部劇(悪い意味ではない、念の為)を私は予想していた。しかし、そんな単純な映画ではなかった。

保安官ケインは、スーパーヒーロー的なキャラクターではなく、腕に自信あるとはいえ、ミラー一味4人と戦うには助けが必要と、仲間を募る。ここで、意気に感じた男、一癖あるが凄腕ガンマンらが集い、悪漢と戦うとなれば普通なのだが、手を貸そうとする人間は現れない。

ケインが教会に行き、助けを求める場面が印象的である。

ケインの求めに応じ、協力しようとする男性が数名でるが、それに対して異論も噴出する。中には、「保安官に街を守っているため、お金を払っているのだから手を貸す必要はない」、「だから保安官助手を増やせと言ったのだ」と主張する人もいる。

自分の身は自分で守るのか、警察に委ねるのかという問題が一つのテーマである。これを見ながらアメリカ人の銃に対する考え方が見えたように思えた。前者に与するアメリカ人にとって、銃は必要不可欠である。

さらに、「悪漢を釈放したのは北部であり、資本家」という話題も登場する。北部を民主党、南部を共和党に置き換えると、今に続く分断である。

議論の場が教会というのも興味深い。“悪者は殺せ“という理屈が単純に通らない場所である。牧師は「意見を述べることはできない」と言う。

このように、「真昼の決闘」は単純な西部劇ではなく、社会性の高いドラマだった。また、テクニックという面でも、最初の結婚パーティーのシーンで映る時計が示すのは10時30分頃、ミラーが到着するのが12時、映画の尺は1時間半程度と、映画の時間とドラマの時間がほぼ一致するように作られ、緊迫感を演出している。

清水ミチコだけじゃない。私も知らないことがまだまだ沢山ある。謙虚であらねばと思った

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