ショートショート 1分間の国 ◎【カラスは知っている】



 私は両腕を上げて眠る癖がある。高校卒業の前年の夏休みに、実家に遊びにきてそのまま泊まった友人にいわれて気がついた。受験勉強が大詰めの、まったく遊んでいる場合ではない時期だったので、いよいよお手上げか、グリコか、と友達だけでなく親からも散々からかわれた。


 たしかにバンザイをしながら眠るなんて滑稽だし、ほかに聞いたことがない。就寝時にはちゃんと両腕とも毛布のなかに入れて行儀よくしているのだけれども、やがて寝入ると鬱陶しくなって無意識のうちにバンザイをしてしまうのだ。


 後になってそんな私に、自分の地元では子育て中のカラスの巣の近くを通るときはバンザイをして歩く、という話を教えてくれたアルバイトの同僚がいた。子育て中のカラスは神経質かつ獰猛になっていて、巣の近くを通りかかった人をしばしば群れになって攻撃する。しかし不思議なことに、そのときに両腕を頭上に掲げているとまったく寄ってこないという。


 話を聞いたのは初冬だったのですぐには確かめられなかった。そうすると私は無意識のうちにカラス除けの姿勢をとるようになるほどひどい目にあったということなのだろうか、という疑問が残った。


 思い当たるふしといえば小学生時代に帰宅の途中、近くの公園でカラスの巣をめがけて石を投げ、追い回されたことくらいだ。急降下してくるカラスの嘴に突かれた頭の痛さ、耳元で空気を切り裂く羽ばたきの音も思い出した。しかしトラウマになるほどではない。


 後輩の話はそれだけではなかった。カラスの子が巣立ったあとの雨が降る夜に、カラスが巣をつくる通称「カラスの樹」の下を、1年に2、3回、両腕を頭上に掲げてバンザイの格好をした日本軍兵士の幽霊が通るというのだ。最後尾が見えないほどの長い隊列を組み、傷つき泥まみれで。


 投降した敗残兵なのだろうか。いやどうもそれも違うようだ。なぜなら兵士たちは黙々としてひとことも喋らず、しかし口を開け、目を光らせて不気味に笑いながら、ときどき消えたり現れたりして進軍していったというのだから。


 兵士の行進を窺っているこちらの姿が見つかると祟られるというので、夏の雨の夜は後輩の家でも雨戸を締めてひっそり閉じこもっていたという。


 カラスと兵士たちの幽霊と、それから私の滑稽な寝相のあいだにどんな関係があるのだろうか。どのバンザイがうれしくてどのバンザイが哀しいのだろう。


 6月になってカラスの子育てが真っ最中のころ、私は後輩に連れられて「カラスの樹」の元にいってきた。さっそく飛び回り、鳴き交わすカラスたちの声で一帯は異様な雰囲気に包まれた。翼を広げたカラスは間近で見ると意外なほどに大きい。そのうえ嘴が鋭いのでそれだけで恐怖を感じる。


 しかし、たしかに両腕を上げていると襲われることはなかった。いったいどういうことなのだろう。


 思いついた私は、自宅近くの公園へ出かけていって、子育て中のカラスが危害を加える可能性があるので注意するようにとの看板があるあたりの大きな樹の下を歩いてみた。


 すぐにカラスは反応し、けたたましく鳴きながら枝から飛び立つ。しかしながらバタバタと頭上を飛び回りはするものの、両腕を上げた私に攻撃を仕掛けてくるものはなかった。


 いつも頭上にカラスがついて舞っている妖怪漫画の主人公や、谷から湧き上がってくるカラスの大群に慄きながら母親を背負い、姥捨山に捨てにいく小説の主人公などを思い出した。


 眠りながらバンザイをする私と兵士の幽霊にはなにが起きているのだろう。いまの日本にはよく似合っているような気がするけれども。


 あなたの近くにカラスの巣があっても、春から夏には決してバンザイ歩きを試してみようと思わないでほしい。危険だし、そのうち兵士の幽霊を見るようになるかもしれないから。

                             (了)



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