掌編小説●【なんとなく人生をやり過ごそうとしていた男の話】




「どうしても誰かに聞いてもらいたかった、というか、いや、話したかったってだけなんだよな、たぶん。……だから聞いてもらえるかどうか、わかってもらえるかどうかは関係ないんだろうな、たぶん」


 あっけにとられている松本とオレを前にして話にひと区切りをつけた中村はひどく内向きな喋り方をした。オレと松本はただ座っていればいいということになるけれども、中村の気持はわかる。


「ホントお前たちがいてくれてよかったよ。こんな話ができるのはお前たちだけだから。もう2度と誰にも話すつもりもないし」


「坊さんや神父さんや庭に掘った穴じゃ駄目なのか。やっぱし」


 バチ当たりな松本がなかなか笑いにくい冗談をいう。気分を変えたかったのだろう。


 中村と松本、オレの3人は小学生のころからの仲のいい友だちで、奇跡的な巡り合わせで45歳のいままで途切れることなく付き合いを続けてきた。それが今日の告白のためだったと考えると虚しくもあるのだが、まあ、そういう打算や大人の都合とはまったく遠く離れた、まるで子ども時代そのままの関係だということだ。


 ふたり暮らしだった奥さんが突然の病で亡くなり、四十九日が明けて約2週間ほど経った家のなかは、もうすでにすっかり男やもめのひとり暮らしの巣だ。祭壇はもちろん仏壇や神棚、位牌すら一切なく、代わりに何本ものギターとそれに関連する機材、オーディオセットが場所を占めている。亡くなった奥さんを忍ばせるものはなにひとつ、目に見える範囲では食器すら、なにひとつない。


「だけど長かったよお。20年だもんな、20年。自分を褒めてやりたいよ」


 キッチンからビールを取り出して安堵のため息のように中村がいう。


「こっちはいまでもそうだ」


 オレは慰めるつもりもなく呟いた。


「メタルを聴くのがうるさいっていうからヘッドホンを使ってたら、今度は話しかけたら一度で返事をしろって怒られたことがある」


 アナログ盤を回して中村がまたぼやきはじめた。熊か雪だるまのような格好の白く薄い煙のようなものが細々と立ち働く中村の後ろに漂っているのは、最近ひどくなってきたかすみ目のせいだ。


「それで困ったオレがどうしたかというとな、そのヘッドホンをな、デスクの上に置いて、ハウジングを、中のちっちゃなスピーカーをこちらに向けて聴いたよ。顔を近づけて」


「……旦那はん、悲しすぎます」


 相槌を打ちながら自分に注いだ松本のビールの泡が金属製のジョッキの外側を伝って滑り落ちる。


「話しかけてもクソ根性の悪い返事しか返ってこないし、結婚2年目くらいからは話すこともなくなった。だから笑顔あふれるどころか、シーンと静まり返って緊張感漂う冷たい家庭よ。知ってるだろ」


 3人で囲んでいるテーブルに〈守山小学校3年生のアルバム〉が乗っている。オレたち3人がはじめて出会った記念のような小冊子だ。しかし開くと集合写真のなかのオレたち3人の顔は無残に削り取られて白い紙質がむき出しになっている。


「どうして夫婦のあいだでいちいちマウントを取りたがるのかわけがわからん。そもそも話が全然合わないし。口喧嘩をはじめても大声でがなっていることはオレと同じだったりするし。ああ、そういえばときどき自分のことをオレって呼ぶんだよなあ。なんだったんだろうなアイツ」


「だけど暴力振るうとか浮気するとか、ギャンブルとかはなかったんだよな」


 ヤクザな亭主をもつ女に話しかけている気分になる。


「結婚なんか結局は誰としても同じだなんて思ったのが大失敗よ。オレが若い奴らに自信をもって授けられるたったひとつの忠告だな。女は真剣に真面目に、魂込めて選べ。あとはチャランポランでも。ここだけは絶対に大事」


 風が出てきたらしくベランダでガサゴソと音がした。


「どんなブサイクな猫でも何年も飼っていれば愛着が湧いて可愛くなるっていうけど、何年経っても、10年経っても20年経ってもブタはブタさ。いつか生まれ変わってくれるかもしれない、と藁にもすがる思いでいたけどブタはどんどんますますブタになる。それでもって、死ぬまでブタ」


「いま生まれ変わっている最中かもよ。……、いくらなんでもブタはいいすぎじゃないの」


 ついになだめ役に回ってしまう。なにか離婚できない理由があったはずだけれども、それにはまた恐ろしく深刻なものがありそうで、こちらから聞くのはためらわれた。


「いや。オレ、スーパーでカートを押しながらあいつの後ろを歩いていたとき、お前はもう食わなくていい!! と何度も大声で叫びそうになったよ」


「それでも遺体は1回で焼いたんだもんな」


 遺体に脂肪がたいへん多いので、そのまま荼毘に付すと釜が暴走してしまう危険性がある、2度に分けさせてもらえないか、と火葬場で打診され、断ったという話をこの直前に聞いていた。


「いくらなんでも体を2つに切るなんて承諾できないだろ。死んだからしっぺ返しをしてやろうとかいう気持はさらさらないんだ。もともと憎いというより嫌いなだけだし。死んでくれたらもう終わったことで、それで清々している」


 そうなのだ。もう済んだことなのだ。いまさらなにをどう思おうとどう考えようと変わらない。どうにもならない。もうこの話はおしまいだ。悲惨な結婚生活の、これが本当の最後の最後だ。オレたちも中村の奥さんについて口にすることは2度とないだろう。


「そろそろ帰ろうと思うんだけど、最後のお別れはどこにすればいいんだろう」


 松本がこれでお開きという空気を読んだ。


「ああ、そうだな。そのままで少し頭を下げてくれればいいよ」


 黙祷する形になり、また連絡するからなど別れの言葉をいい合って玄関まできて足がすくんだ。


 靴がひどく脱ぎ散らかされている。しかし松本のあとに、というか順番の最後に自分が入ってきたときには靴はきちんと揃えられ並べられていた。もちろんその後に出入りした者はいない。


 振り返ると中村が肩のコリをほぐすかのように首を回している。

 まだ終わりではない、……。自分が青ざめるのがわかった。




                (了)


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