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「自分を100パーセント生きたい」そのためにどうしたらいいか

昨年の、ほんとに年度末の気づき。

常識とか、周りの意見とか空気に流されず、自分の人生を100パーセント生きたいと思うけど、はたと自分が今何をしたいのかがわからない。

することに追われてやりたいことができないのも大変だけど、時間があるのに何をしたらいいかわからないのも苦しい。

その原因と解決策がシンプルにわかった気がする。

あなたはどれくらい自分を生きてますか?

8年ぐらい前に受けた心理学系のワークショップで「あなたは生きているか死んでいるか」という問いかけがあった。

とあるやり方で、参加者を「生きている」「死んでいる」に振り分けていくんだけど、そこにいた10人くらいのうち、3人が「死んでいる」に振り分けられて、そのうちの1人が私だった。

最初に私のところで

「あなたは死んでるね~」

って言われたとき、「死んでいる」ってどういうこと!!?って思ったけど、その他の2人を見たら、「そういうことか~」ってめちゃくちゃ納得できた。

共通項は、「自分がない」こと

言葉が薄っぺらい。常識とか本に書いてあることとかをしゃべってる感じ。実感のない正論過ぎてちょっとイラっとするときもある。

あと、いつもニコニコしてて後ろに何を持っているのか、怖い感じもした。

私も、多分その人たちも、自分の判断ではなく、誰かの決めた基準とか、常識とかで動いているから、自分では「生きていない」んだろうなあ。

でも、じゃあ自分で動こうって思ったとしても、「自分がどうしたいのか」がよくわからない。だから「死んでいる」ってことかあ~

すごい納得。

2人のうち1人は、私と同じで自分が「死んでいること」をなんとなく理解して何とかしたいと思っている様子だったけど、もう一人は自分が「死んでいる」とを理解できず、どうして私が、といら立っているようだった。

その人はいわゆる「優等生タイプ」だった。私も、20代までの自分だったら理解できなかったと思う。(その人は多分50代くらいだったけど)
そこから、自分を取り戻したい。「自分を生きたい」と強く思うようになった。

そのことを最近ふと思い出して

「私は今、どれくらい生きているのだろう?」と思った。
あの時よりは自分を生きている、だけど、今の自分は何パーセント、自分を生きているんだろう?

どうして「死んでしまう」のか。どうしたら「生き返る」のか


そんなこといままで考えもしなかったけど、それがとある2冊の本を読んでいた時に、突然シンプルにわかった気がしたので書いてみます。

どうして死んでしまうのか?


言い換えると、どうして「自分が分からなくなるのか」

①自分を曲げる

人と生きていると、自分がやりたいことじゃないことを選択することもある。些細なことで言ったら、ほしいドーナツが1つしかなくて、じゃんけんで負けてがまんするとか。親に言われて好きでもない相手と結婚させられるとか。

②自分に嘘をつく

自分を曲げないといけないときもあると思う。ただ、それが、「自分の本心じゃない」とわかってするんだったらいいけど、自分を納得させるために、「あれが自分の本心だった」と自分に嘘をついてしまうと、だんだん本心が分からなくなっていく気がする。
「僕ドーナツ食べたくなかったもん」とか、「(親じゃなくて)私がこの人と結婚したかったから選んだ」とか。
本心を偽るほかに「そうするのが正しいことなんだ」という嘘もある。「親の言うことを聞くのが正しいことなんだ」とか。こういった「嘘」を自分についてしまうと、周りにも押し付けたくなるからよりやっかいだ。

③自分が分からなくなる

こうして、自分へのうそを積み重ねていくと、自分がどんどんわからなくなっていくんじゃないだろうかと思う。

あと、余談だけど一般的な学校教育って自分の声を聴くことを教えないと思う。むしろ、外側に答えがあってそれに従うことを教えられた気がする。テストとかその典型例。

学校にいた頃はたくさん勉強するほど将来上手に生きられると思っていた。でも実際には、自分の気持ちが本当はこうしたいと思っていても、知識が邪魔することが多々ある。

椎名林檎の「おとなの掟」歌詞2番以降とかわかりみがすごい。


「死んでいる」状態から元に戻っていくには?

どうやって死ぬかがわかったら、シンプルに反対のことをしていけば、生き返っていけるはず。

つまり、自分についた嘘を紐解いてほどいていく。

そのやり方が、この本に書いてあって、
自分を縛る思い込みに対して「それは本当ですか?」とひたすら尋ねていくだけ。

自分を生きるというのが、その時々で自分の気持ち、声を聞き取っていくことならば、究極的には「これはこうしなければならない」「これが正しい」とかはすべて思い込みになる。

思い込みに気づくタイミングは、いらだった時、焦ったとき、つらいときなど、感情が動くことが多い気がする。

最近の私のケースでいうと、夫に話しかけて返事がないことにいら立っていたときを思い出す。よくよく自分の心を見ていくと「人の話は無視すべきでない」っていう思い込みがあるからいらだったんだなと気づく。

でも「それって本当?」って自分に問いかけていくと、そんなことはないと気づく。実際人の話を無視したほうがいいときもあるし。といった具合。気づくといら立ちもおさまる。

「お金をもらうためには嫌なことを我慢しなければならない」と思い込んでるとつらくなるだろうし、「時間をかけすぎることは悪だ」と思い込んでいたら、思い通りに物事が進まないと、焦ってしまうこともありそう。

詳しくは、本に書いてあるけど、「それは本当ですか?」という質問だけだと、答えが浮かばないことも多々あるので、それを補完してくれる4つほどの質問がある。

この気づきが12月に自分の中であって、そこから一気に20%くらい自分を生きる度合いが爆上がりした(感覚値)気がする。これについては次回書こうと思う。もう少し具体的な話を書いていくつもり。

今、私は今85%くらいまで戻ってきた気がしている。自分を取り戻すまであと一息。

また、私がいかに自分を見失って、そこからどうやって這い上がってきたかについて、実はすでに本にできるくらいまとまった文章がある。「人生の迷子になったので自分探しの旅に出た」というタイトルを付けた本なんだけど、直しつつ少しずつアップしていきたい。

私の前著「ゲストハウスは学校だった」のサイドストーリーになっている。


実はこの2つは同時に書き上げたのだけど、内容が個人的過ぎて前著のテーマとはそぐわないと思い外していた分。前回は販売したけど、今回はnoteに無料で上げていくつもり。

もしこれを本にしたいという人とか、協力者が出てきてくれたら、本にしたいと思っている。前回は、読んで意見を頂いた方、校正してくれた方、あとがきを書いてくれた方がいて、編集・表紙は自分で作ったんだけど、今回はその辺も誰かにお願いできたらなあ~などと考えてます。

ちなみにこの自分を取り戻す大きな気づきをくれたのはこの2冊の本だった。前にも読んだことがあったけど、ふとしたきっかけで時間ができて読み返したらすごくわかった。実践としてはザ・ワークがあれば十分だけど、箱の本は、どういう風に自分を失っていくのかがよくわかりやすく書いてあるので2冊読むと、なおよしかな。



私がやりたかったことは、「自分を取り戻す」こと。

前に、夫のたけぽんから「あなたはどうありたいの?」と聞かれて頭が真っ白になったことがあった。それまで、「どんなふうになりたいの?」はよく聞かれたし、私はこうなりたいって色々考えてきたけど、どう在りたいなんて考えたこともなかった。

たけぽんは心理学とか全く学んでないけど、時々ものすごく鋭い質問をしてくる。

あれから2年くらい。「私は自分で在りたかったんだ」というのが最近ようやくわかった。「あなたは死んでいる」と言われてから8年。

自分で在りたいし、そうありたいと願う人たちをサポートしていきたい。そのための方法を学んでいき、実践していきたい。

ここに書いたことはどれくらい意味が分かってもらえるんだろうか、ちょっと心配。よかったら意見を聞かせてほしい。

それでは、ホニャラ~


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