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事実と思い込みを分けて考えるの本当の意味

昨日時間マジでとれなくて書けなかった!
昨日分の代わりにまたまた過去ブログを再掲します。
 
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事実と思い込みを分けることは大事だと言われる。
 
例えばある人(Aさん)に挨拶をしたとして、返事がなかったとする(事実)
それに対して「Aさんは私が嫌いだから無視したんだ」と決め込んでしまうのが、思い込み。
 
もしかしたら事実は、Aさんは頭が痛かっただけかもしれないし、挨拶が聞こえなかっただけかもしれない。
 
この事実と思い込みの分離が大切なのはわかる。自己評価が低いほど、「私が嫌いだから」といったネガティブな思い込みにつながりがちでもあるし。
 
 

 
だけどここで私は勘違いしていたかもしれないと思った。
 
「事実」と「思い込み」を分けろと言われて、私は無意識に「事実だけを大事にせよ」ということだと思っていた。
 
 
だけど「思い込み」というか言い換えると「事実と証明できない感覚」は本当にすべていらないのだろうか?
 
会話をしていて、目線をこちらに向けてもらって、なんとなくこの人は私を「愛してくれて」いると感じる。「大切にしてくれている」と感じる。

そういう「感覚」は確かにある。
 
 
事実だけをとりだすと、ただ「目がそこにある」というだけ。もしかしたら、こちらを見ているかさえわからないんだけど、その感覚は、本当に「思い込み」なのかな?
 
「愛」とは思い込みに過ぎない?
 
「感情」というものは存在しない?
 
同時に「冷たくされていると感じる」これも本当に絶対、ただの思い込みなのか。
 
そんな事はないと思う。
 
「思い」の中にも、事実に近い「思い」と、ゆがんだ「思い込み」がある気がする。
 
 

 
ここまで書いて気づいた。
 
「事実」から「思い込み」を分離できれば、そのとき初めて正しく「感じる」ことができるのかもしれない。

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以上です。

事実をクリアに見つめ、目に見えないものも感じられるようになるために、日々セッションしてるのかもしれないなーと思いました。

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