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自分の中のタブーを認めることで私の生がよりパワーアップした話

これはちょっと公開しようか迷った話なんだけど、ふと書きたくなったので出してみることにした。



ある時、結婚して3年ぐらいたった時かな。

誰かの運転で助手席に座っていた時、ふと、
「あれ、私、もう死んでもいいって思ってるかも」と思って怖くなったことがある。

結婚して夫もいて幸せな人生を送っているはずなのになんでそんなことを思うんだろう。考えてもわからなかった。別に鬱でもなかった。

思い起こせばそれ以前にも、たまに「どうして生きてるんだろう」とか「もう生きる必要ないよなあ」とかたまにふとそんな考えが浮かぶことがあった。


その数日後、心の奥底に眠る本音を言語化してくれるセラピーをやっている友人と話しているときに、気づいた。

私は「死んではいけない」というルールを自分に課していたんだと。

言い換えると、私は

生きたいからではなく『死んではいけない』という思い込みがあるから、生きてきたんだ。

そのことに気づいて涙が出た気がする。


その後の自分自身への問いはこれ「もし死んでもいいとしたらどうする?」これを聞くのは自分でもこわごわだった。もし答えが「死ぬ」だったらどうしようと。

でも、

「生きたい!」

と言う答えが心の底から出てきた。

それまでも私は「100歳以上まで生きたい」と言葉では言っていたけど、
それは単に心の奥底に「死んではいけない」という思い込みのプログラムがあるから生きていただけだったんだなあと気づいた。

そこには本当の意味での主体性はない。

でもこれからはその思い込みはない。

「死んでもいい」という許可を自分に出せたからこそ「生きたい」と、心から強く思えた。主体的に生きられる気がした。

それ以来「私、もう死んでもいいよなあ」とふと思うことがなくなった。


この時が、私の安全装置が外れても大丈夫なタイミングだったんだろう


ちょうどこの時が。私にとってこの思い込みを外すタイミングだったんだと思う。

もし、もっと早くこの「死んではいけない」の思い込みが取れていたら、もしかしたらめっちゃ落ち込んで実家に引きこもったときとか、感情に任せて死んでしまっていたかもしれない。

この「死んではいけない」という思い込みは私にとっての安全装置でもあったんだと思う。今はそこまで落ちこむことはない。



そして私は心の底から「生きたい」と思うようになった。120歳まではとりあえず生きてみたいぞ。

この話を書くことも少しこわごわ。だけど、ふと思い出して、書いてみたくなったので公開してみる。

※注意
もし死んでもいいとしたらどうする?と自分に聞いたとして、精神が落ち込んでる時の答えはあんまりあてにしない方がいいかも。後、考えすぎる人。特に生きるじゃない方のとき。自分の心の本心が聞こえなくなってる可能性がある。

でも、きちんと本音が聞けるとしたら、もしかしたら、本当の本気で生きるきっかけになる…かも。

私はそうだった。


それでは、ホニャラ~

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