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一点の不自由さが、より自由を産むということ



ワーク中とかで、なかなか心の整理がつかないでいたことがあった。

答えを促すために、「〇〇していいんですよ」「たとえば〇〇とか」と言うことが、相手を縛るんじゃないかと思っていた。

別の時には、たとえば夢を語る会ではみんなが安心安全に心開ける場を作るための2つだけルールがあって、それが、否定しない、と最後まで聞く、なんだけど、自由に夢を語るのにルールというのが少しだけ、ひっかかってもいた。もちろんルールの必要性は、理解した上でだけど。

でも今日気が付いたのは、会えて一つの点だけ不自由に振れることで獲得できる自由があるということ。

私たちはすでにさまざまな暗黙の常識、形にはめられていることにすら気が付いていない。

たとえば、太陽を描くとなれば赤いペンで〇をたくさんの-で囲み、家なら△に□を書いてしまう。

でも、その時もし「〇と-を使わずに太陽を描く」と言うルールがあったら不自由だろうか?むしろ、そのルールのおかげで自由さを獲得できるんじゃないか。

自由な場を作りたいと言ってノールールで行くことが必ずしも自由を産むとは限らない。

すでにある暗黙の形、枠に気づき、それを禁じる、いわゆる逆向きのルールは、制限を外してくれる。

そして、外れてしまえばもうそのルールすらいらなくなる。

そうやって本当の自由を獲得するにつれて、ルールのいらない世界が広がっていくのかもしれない。

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