星の鼓動は愛

アムロ・レイの再来だ。

という台詞が機動戦士Zガンダムでよく出てくる。

カミーユはアムロを越えるかもしれないニュータイプ能力とパイロット能力をもっていた。

しかし、ファーストのような涙涙の感動の最終回の様な結末ではなく、最終回は主人公が精神崩壊(インターネットではそういわれることが多いので今回は使わせてもらう)してZは幕を閉じる。

同じ民間人で、ニュータイプで、再来とまでいわれたカミーユは何故アムロになれなかったのだろうか。

アムロは故郷を捨て、親を捨て、愛する者も捨て、最後はガンダムも捨てて全てを失う。

しかし、それでもアムロは生きる道を選んだ。ファースト最終話の有名な台詞で、アムロはこう締めくくる。

「ごめんよ、まだ僕には帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない。わかってくれるよね?ララァにはいつでもすぐ会いに行けるから。」     第四十五話より抜粋

と言い機動戦士ガンダムは終わりを迎える。


この台詞はホワイトベースを見つけハヤトやミライさん、ブライト艦長といった共に戦ってきた仲間たちを見つけアムロが涙を浮かべながら微笑んで言う台詞だ。アムロには仲間たちが唯一残ったものだ。

しかし、カミーユも同じくして故郷や両親、恋人を捨てて全てを犠牲にした結果、彼の周りには最後何が残っているのだろうか。


エマやカツ、ヘンケン艦長を失い、クワトロは消息不明。カミーユを愛した女たちは魂としてカミーユに力を与えてくれたが、勝ったその先にカミーユの帰る場所はないのだ。これがまず一つ目のカミーユとアムロの大きな違いだと私は考える。


更に、アムロとカミーユを比べるとカミーユは死んでいった者達や生命に異常に敏感である。

二人を話すにあたってララァとフォウは必ずついて回る。同じ様に恋人を亡くしているが、彼女達を失ってからの死生観は比べるとかなり違う。

アムロはララァに対して死ねばいつでも会いに行けると考えていると私は解釈している。根拠としては、前述した台詞や、映画逆襲のシャアの劇中でアムロの夢の中に現れたララァの次の台詞があげられる。

「意識が永遠に生き続けたら拷問よ。私は貴方たちをみたいだけ」映画逆襲のシャアより抜粋


これは本当にララァなのか、それともアムロの妄想なのか定かではないが、少なくとも魂は肉体から解放され自由なのにも関わらず、シャアの元ではなく、自分の中に居座り続けるララァという存在はアムロを苦しめ続けたのであろう。

一方カミーユはそんな魂を受け入れる方を選ぶ。

「人って絶対共感できるって、でも、それには時間が必要です。一人二人が相手じゃないから。でもね、全ての人たちとの共感が得られる時代が来たら、死んでいった人たちにもどこかでめぐり合える。そんな気がするんです。そうしなければフォウはおれの中に生き残ってはくれない。」第三十七話より抜粋


カミーユは死んでも尚、フォウは自分の中で永遠になってくれることを望んでいた。
最終話では死んだものたちに肉体を貸し、力になってもらうことを望んだ。他には、己が犠牲になってでもシャアには生き残らなければならないと伝える場面もあり、これにはシャアも

「君の様な若者が命を落として、 それで世界が救われると思っているのか⁈」第五十話より抜粋

とカミーユに怒る。

どこまでも彼は誰かのために己を犠牲にする人間だ。アムロも隕石を一人で押し返そうとしたこともあったが、決して死ぬつもりでやっていたわけではない。 カミーユは命に代えても、体に代えても(これは実際にシロッコに放った台詞だ。カミーユはやはり肉体と命の拠所を別の場所にあると捉えてることがよくわかる。)と死を自分ととても密接に考えていた人間なのではないだろうか。


ニュータイプカミーユ・ビダンは確かに七年前のアムロを感じる様な戦いをしていた。しかし、二人を重ねて合わせていくとこんなにも二人は真逆の人間だったのだ。


さいごに、冒頭で伝えた精神崩壊という言葉の話をしたいと思う。


この「精神崩壊した。」という説明は果たして正解なのだろうか。私は違うと思う。

カミーユは少しみんなに体を貸したことで魂と肉体が曖昧になっていただけだと私は考える。事実、ZZガンダムで彼はジュドーの精神やニュータイプたちに声を届けている。

これは彼は精神は崩壊していなかったなによりの証拠だ。ファの献身的な介護のお陰もあって二人は最終回に野を駆け回り笑顔を浮かべている。

精神崩壊という言葉がいつか精神と肉体の分離。と言われる日を私は望んでいる。

余談ではあるが、SDガンダム学園というちっちゃくなったガンダムのキャラクター達がギャグアニメをする作品がある。その中にカミーユも出てくるのだが、役名が「プッツン☆カミーユ」である。精神と肉体がプッツン⭐︎しているから間違いではないと私は考える……。


私は全てのガンダム作品を通してどれだけ人に愛を与えるかということをどの作品を見ても考えさせられる。このレポートのタイトルは劇場版Zガンダムの作品のタイトル

「星の鼓動は愛」でもある。

愛を感じ、隣にいる人に寄り添うことのできたカミーユは誰にも負けない最強のニュータイプとなったことが証明されている。

この文を読んで少しでもガンダムが気になった人はAmazonプライムに登録し、Zガンダムアニメ版を一気見してほしい。出来た人は映画三部を視聴後是非私に一報を           


おわり

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