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生きづらさを抱える人のための物語【インタビュー記事#09:わたしの美しい庭】

大切な一冊をおすすめしてくれた人と、1冊の本を出発点として人生を語り合うインタビュー記事第9弾。今回は、開店初期から本屋余白を応援してくださっていた、こゆき様をお招きした。
おすすめいただいた本は『わたしの美しい庭』。

おすすめのメッセージはこちら↓

一人暮らしを始め、「頑張らなきゃ」と自分を追い込んでいた大学1年の夏。そんな時、自分の中の《ふつう》を軽々と吹き飛ばしてくれたのがこの本でした。
素晴らしい大団円はありません。でも読後のあなたを温かく包み込むような、そんな一冊です。

なじめない子どもが幸せに生きられるように

本屋余白(以下、「余」):今日はよろしくお願いします!
こゆき様(以下、「こ」):はい、お願いします〜。
余:自己紹介をお願いする前に喋っちゃうけど、こゆきさんは僕(多賀)の学科同期なんだよね。本屋余白のサービスを始めてすぐにおすすめしてくれて、運営二人でめちゃくちゃテンション上がったの覚えてます(笑)。
こ:こちらこそ、なかなか他にない素敵なコンセプトを持った本屋さんだなと思ってました。おすすめしたらめっちゃテンション高いメール返ってきたから、あーこれ私だってバレてんな〜って思ってた(笑)。
余:そうだ、盛り上がってびっくりマークばっかのメール送っちゃったんだ(笑)
そしたら改めてになるけど、自己紹介をお願いします!
こ:はい!こゆきと言います。今大学3年生で、教育心理学を専攻中です。その関係で、教育系のNPOでギフテッド(編注:生まれつき高い才能を持った人のこと)の適応支援をしてたりもします。
余:ありがとう。ちなみにずっと聞いてみたいと思ってたんだけど、なんで教育心理学を勉強することにしたの?
こ:小学生、中学生くらいの頃、学校と全然合わなかったんです。だから、特に小学生の頃なんかは、図書室にいてずっと本を読んでる、みたいな。
ただ中学生になって、自分だけじゃなくて周りも周りで大変なんだな、っていうことに気付くようになってきたんですよね。そこから、子どもがもっと幸せに生きられるようにしたいっていう思いが生まれてきて。高校の頃から教育心理に行きたいって決めてました。
余:高校の頃からか…!すごいな。

独りぼっちだった自分が出会った本

余:本の話に入っていきましょう。おすすめしてくれた本と、あらすじを簡単に教えてください。
こ:凪良ゆうさんの『わたしの美しい庭』です。凪良ゆうさんは『流浪の月』で本屋大賞も受賞している作家さんですね。
オムニバス形式の短編集で、主な登場人物は小学生の百音(もね)ちゃんと、彼女と一緒にマンションの一室で暮らす統理(とうり)さんという男の人。百音ちゃんと統理さんの関係は少し複雑で、百音ちゃんの亡くなってしまったお母さんの元旦那さんが統理さんです。統理さんは百音ちゃんが生まれる前に離婚していたので、百音ちゃんとは直接血はつながっていないんです。
余:確かに複雑な関係ですね。内容についてもう少し聞いてみたいです。
こ:簡単に言うと、様々な「生きづらさ」を抱えた人が二人のもとを訪れて、少しずつ救われていくというお話です。
二人が暮らすマンションの屋上に統理さんが管理している神社があって、その神社にお参りすると悪い縁を切れるって言われてるんです。そして、何かしらを「断ち切りたい」っていう思いを持ってそこを訪れた人と統理さんや百音ちゃん、あるいは訪れた人同士が交わりあう。お互いに少しずつ変えて、変わっていく中で、救いが生まれるーーそんなストーリーです。
余:面白そう!
この本に出会ったのはいつなの?
こ:大学1年生の夏休みですね。
余:大学に入ってからなのね。きっかけは?
こ:その時期はちょうど、一人暮らしを始めたばかりだった上にコロナの制限が厳しくて、大学に入ったはいいけれど全く人と関われない時期で。その上大学の人たちがすごく優秀に見えて、自分だけ何にもできないんじゃないかって思ってしまってしんどかった時期だったんですよね。
そんなときに、せっかくなら余っていた図書カードで何か買って読んでみよう、と思って。高校の頃までに読んでいたたくさんの本は実家に全部置いてきてしまっていたのもあって、綺麗な装丁のこの本を置いたら部屋も気分も晴れるかなと思って、買いました。
余:なるほど…。確かにこの本、すごく装丁綺麗だよね。きっと読んでいろいろ影響を受けたからこそ、今この本を「大切な一冊」として紹介してくれてると思うんだけど、そのあたりのお話をしてもらってもいいかな?
こ:はい。
最初に読んだときも一気に読んで泣いたし、そのあとも何度か読み直して、その度に泣いてますね。
余:すごいインパクトを持ってたんだね。何が響いたんだろ?
こ:私、家族とあまり仲が良くないんです。大学1年当時の自分も、どうにか家を出てきたといった感じで。その上、一人暮らしを始めたら始めたで誰にも会えず、狭い部屋に独りぼっちで閉じ込められている気分だったので、自分は独りなんじゃないか、本当に誰も助けてくれないんじゃないか、ってすごく感じてしまっていたんです。
余:うんうん。
こ:その一方で、この本に登場するいろいろな背景、のっぴきならない事情を抱えた人たちーー百音ちゃん然り、統理さん然り、そこを訪れる人たち然りーーは、それでも互いに手を取り合っているんです。当時の私にはそれがとても響きました。手を取り合っちゃいけない人なんていないんだ、って。
余:こゆきさんが当時置かれていた状況、そして感じてたこととこの本が響きあったんだね。
それに関して、本の中で何か印象的なエピソードはある?
こ:最後の方に、百音ちゃんが統理さんとはじめて会ったときの回想のシーンがあるんですけど、そこで百音ちゃんが統理さんに「おじさんは百音の何?」って聞くんです。複雑な間柄だけに。
それに対するおじさんの答えは、「事実は存在しません。あるのは解釈だけです」。
わざわざ小学生の百音ちゃんに対して難しい言葉を向けていますが、結局統理さんが言いたかったのは、「複雑な関係に対して周囲からいろいろ言われるかもしれない。けれど、それはその人たちの解釈であって、気にしてもしょうがない。私たちが何であるかを決めるのも、私たちで手を取り合うことを決めるのも、私たち自身」、そういうことなんじゃないかなと思います。

「完璧じゃなさ」に救われる

余:ありがとう。すごく優しくて力強い言葉だなと感じました。
この本を読んで、こゆきさんに何か変化はあった?
こ:そうですね。
これはさっきとはまた少し違うポイントなんですけど、周りの人々に対する「想像力」がついたように思います。
余:「想像力」。どういうことだろう。
こ:この本を読む前は、自分こそが不完全で、大学の同期とかは完璧超人に見えていました。また、だからこそ、自分はこうしなきゃいけない、こう頑張らなきゃいけない、っていうのにすごく囚われてしまっていたんです。
でも、この本に出てくる人たちはみんなそれぞれに不完全です。例えば統理さんは離婚歴があって、血の繋がらない子どもと一緒に暮らしている。百音ちゃんだって両親を亡くしている。今まであまり触れてきませんでしたが、統理さんたちのもとを訪れる人たちも、ゲイだったりうつ病に苦しんでいたりと、それぞれに「”ふつう”じゃない」「欠けている」と本人が捉えている部分があります。
それをみたときに、自分は「こうでなきゃいけない」、周りも「こうに違いない」っていうのがふっと解けて、「周りだって自分と同じくどこかで不完全なんだろう」って思えたんですね。みんな完璧な一枚岩に見えていても、一人ひとりに目を向けたら、もっと事情って多様なんだよな、って。
余:他者の不完全さに思いを馳せることができるようになったことで、自分も肯定できるようになった、ということかな?
こ:うーん、少し違うかもしれないです。
「肯定する」ってちょっと違うんじゃない?と思ってしまうんですよね。
肯定はしようと思ってするものではないから。
自分にとっては、肯定できない自分もそのまま「受け容れる」ことができるようになった、というのがしっくりくる表現です。
余:確かに、言う通りだと感じました。
こ:それで言うと、この本も、登場人物に劇的な救いが訪れるわけじゃないんです。ただ一緒にいて、一緒にご飯を食べて、お話しする。そうしたってそれぞれの苦しさや寂しさは消えません。それでも、不完全さを抱えたままで生きていく力を得て、去っていく。そこにこそ、この本の本当の救いがあると思います。
不完全な自分を受け容れたときに、人は少しだけ強くなるのかもしれませんね。

編集後記

こゆきさんが、この本のいろんな登場人物、いろんな場面、いろんな言葉と響きあった経験を語る姿が印象的でした。
もちろんこの本自体に人の心を動かすものが詰まっているのもあると思います。でも、それを自分の状況、経験、価値観、感情とぶつけ合いながらたった一つの読書体験を作り出していくこゆきさんを見て、「ああ、自分もこんな風に本を読めるようになりたいな」と思わされました。
誰かにとって「大切な一冊」の価値はその本の中にあるのではなく、読む人とのあいだに生まれるのだ、という当たり前のことを実感しましたし、そんな風に本と向き合えるこゆきさんが余白を応援してくれていることに嬉しさが込み上げる、そんなインタビューでした。

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