ジエ子さんに演劇に触れてもらうために

 「ジエ子さん。」は第9回でいったんおわりです。

 そもそもは「ジエン社(著者のやっている劇団)を見に来てくれるお客さんはどんな人がいるのかなー」と思ったのですが、考えれば考えるほど、「ジエン社を見に来たいと思うような人って、ジエン社を、というか、演劇を見に来ないんじゃないか?」と、思ったのでした。
 パラドックスだなあと思ったのですが、小説作者としていろいろな手段で演劇に接近させようとは、したのです。「親友が観劇好き」とか。「チラシを手にとらす」とか「会社を休ませて大金を渡す」とかしたのですが、行かなかった。
 かたくなに、ジエ子さんは観劇しない。

 どうすれば、ジエ子さんは演劇を見てもらえるのか、というか、幸せになってもらえるのかという心配も出てきた。何が彼女の幸福なのか。そもそも、幸福そのものを拒否している気もする。

 作者である僕は、彼女に観劇させようとして、会社を無理やり休ませてしまった。それが、ここまで重くなってしまうとは。もともとまじめだから、ちょっとした風邪ではいかないし、風邪だと治すのに専念してしまうだろうから、ということで、無職の人にさせてみたけれど、それでもいかない。
 劇場に行かない……のかなあ。
 それより、ラストに不幸というか、うまくいかなくさせて、させっぱなしなのがつらい。ことわっておくけど、僕は最初から不幸にさせようとか、演劇見に行かないとか、そんな風に思って書いてない。
 ただ、ジエ子さん、というキャラクターを考えれば考えるほど、見に行かないのだ。

 それでも、「広場」にはいくことができた。夜の広場だ。
 広場に、ジエ子さんは少しだけ安心できた気がする。家に居てもおそまらなかったざわざわが、広場なら少しだけいい感じになってた。
 広場か。
 誰も話しかけないのがいいのだと思うし、だめな人達がいきいきとただ居るのもよかったんだと思う。
 たとえば、もしここで、演劇を行う事が出来たら……?

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 広場では、何やら声を出す人たちがいた。よく見れば、それは練習されたものらしく、どうも演劇……出し物? 大道芸? をやっているようだった。
 わたしは邪魔にならないように、広場から出た。見たい人の邪魔になってはいけない。

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 と、多分ダメだったんじゃないか。ジエ子さんの性格を考えると。

 この人に、どう演劇に触れてもらえるかどうか。そもそも、演劇ではジエ子さんには、届かないのでしょうか。人が目の前で、何かを演じる催しには、敬遠されてしまうのか。

 短歌は好きで、小説だって読むし、漫画も読む。好きなドラマとかはないし、多分テレビはあまり見ない。作中描写がないが、あまりスマホのアプリに関心はない様だ。なんらかのゲームはインストールしてるだろうけど。 
 普通の人を描写しようと思った。別に特殊な人をとはおもっていない。でも描写すればするほど……演劇を見ない。

 じゃあ、演劇じゃないのかなあ。

 でも、作中サリーという友人に言わせてみたけど、ジエ子さんにこそ、僕は見てもらいたい。どういう感想を言うのか聞きたいし、いままでのジエン社の公演に、ジエ子さんがいたと思ったら、僕はとてもうれしい。ジエ子さんにも、なんらかのプラスになるような、いいものを見せることができたと思うし、自信もある。
 でも、無理だった。フィクションの中でも、見せる事が出来ない。無理に見せても、それはいい出会い方じゃない。

 まだ考えてる。どうしたらいいかなーと。ジエ子さんとジエン社の幸福な出会い方は、とりあえず現時点では、公演を見る事じゃなかった。

 演劇は公演や上演以外ないのかなあ。いや、僕は上演とか好きなんだけど。見てもらうというか、触れてもらうためには、上演とは違うアプローチが、ジエ子さんには必要なんじゃないかなあと思ったのだった。

 と、いろいろかんがえたのでした。

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