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ただ居る記。第9回

 先週もただ居た。BUoYの喫茶スペースはお盆明けのため、冷たい飲み物がないとのこと。そこで、熱いコーヒーを頼んだんだよ。我ながら、通だなーと思った。暑い日に、熱いコーヒーをすする。

 とにかくこの日は、ただ居ながら書く日にしようと躍起になっていたのだった。夏の宿題が終わらない……「演劇計画Ⅱ」という企画に参加していて、戯曲を3年かけて作る、という企画。その第2稿を書くというのが、この夏の大仕事なのであった。書く。書くぞう、と気合を入れる。コーヒーも飲む。はりきって、ただ居る。戯曲を頑張って書く。

 30分もすると、ツイッターをしたり、ぼーっとしているのであった。ただ居るに、頑張る事はなかなか合わない。
 夏休みの宿題が終わらなくて、泣いている子もいるんだろうなあと思った。漢字ドリルとか、漢字の書き取り100マスを全て埋める、みたいな……。そういうのを、夏、青空がカッとある夏をそのままにやるって、これは、子供には辛いだろうなあー。大人になってから、平気になったな。外がどんなに青空でも、部屋から出ないで仕事とかさ。

 そんな折、その日もまた、「ただ居る」僕めあてに来てくれる方がいた。なんと地元で「青少年たちの居場所づくり」な活動をしているといい、こうした「ただ居る」という活動に賛同してくださって……という……。すみません僕は、ただ居るだけなので、そんなに立派な事ではないのですが……とは思うものの、話を聞けば、すごく興味深い。

 ただ居れない青少年が多いらしい。
 青少年の方々は、学校が全世界に近い。だから、少し学校でしくじったり、とくに理由はないが、合わなかったり、上手く行かない場合、自宅以外に居る場所がない。ことによると、自宅すら居心地の良くない場所になる。僕に逢ってくれた方は、そうした居場所づくり的活動にいそしんでいるという。

 とはいえ、その人も、社会的正義だとか情熱とかの、100%の人ではない。ちょっと面白そうだな、という入り口から入りつつ、今ではカウンセラーや行政と連携して、そうした活動をしているという。ただ、難しいのは、継続と、その継続のための資金、とのこと。

 その方自身も、生活したり、自分の仕事をしなくてはならない。そのなかで、いかにか継続していくのか。その困難や、また、広報の仕方も難しい。「ここは居場所ですよ」といっても、居場所のない青少年の方は来づらい、という。

「いや、実は山本さんの「ただ居る」に行くのも、すごくハードルが高かったんですよ!」と話してくれた。
「まさか!」とは思うものの、たしかに、どこまでがウェルカムなんだ? という感じは否めない。
 「ただ居る」は、性質上、積極的に営業をかけて、他者に働きかける運動ではないのだ。漢方薬のように、じわじわと、時間をかけて、自分の本業やら生活やらに悪影響が出ない範囲で、活動してんのかしてないのか、見られたいのか見られたくないのか、そのギリギリで成立している活動だ。

 だから、ある意味「こわい」物なのかもしれない。
 いやこれにかぎらず、あらゆるイベントごとに始めて参加する、それも、人の縁も何もないところに、ひゅっとコミットするって、ものすごく頑張りが人によっては必要とするものだ。

 それに「ウェルカムな感じが嫌だからこそ、こういう所に来ている」というのもある。「どなたでも!」「初心者向け!」「飛び入りOK!」みたいな……そう言うものには……参加したくないというか……、俺を俺として見てくれ!! と、自分は何者でもないのに思う事がある。それと同時に、なのに「いや客が俺一人とか……ないし……」「素性知られたくないし……」という、別ベクトルの葛藤もある。

 「居場所がない」と、思う人って、その狭間にあって、上手く行かない気持ちになっているんじゃあないだろうか。

 集団の「ウェルカム」な感じ。「身内化」を歓迎する動きに対する気持ち悪さを持ちながら、同時並行で、疎外されたり、知られない事、外様扱いされる恐怖の、ダブルバインド。しかもそれは、誰かに指示されてそうなったわけではなく、自分自身の自尊心や拘りから、そうなる。
 だから、難しい。自分自身への折り合いって、そんな簡単じゃない。そんな簡単に人とは関われないし、そんな簡単に孤立を選んだら、元には戻れない。

 その丁度よさに対して、手を差し伸べるわけでもなく、かといって排除するわけでもなく、『ただ居る』。そのバランスを出す難しさ。広報のむつかしさ。営業のかけ方のむつかしさを、その方と話して痛感したのだった。 
 そうだよなあ、大の大人ですら、この場所で「ただ居る」人に会いに行くのは、すごく難しいのだ。

 そしてこの問題は、自分の率いている劇団の広報の困難さにもパラレルな問題だと思っている。

 自分の主宰している劇団である「ジエン社」は、いわいる小難しい系の小劇場だ。観客動員は一つの演目で1000にも満たない。一ステージで5、60人の観客が来て下さったら御の字という、マイナーさだ。
 ただそのマイナーさがよい、むしろ、ヨソの「ウェルカムな感じ」や「見てください!!楽しませまするう!」という勢いが辛いという方に、高評価いただいているという按配なのである。
 踊らない、歌わない。ただただ、なんとなくつらい人が、「辛いなー」と思いながら、辛さが日常になっている時間を、同時多発的にちょっと情報量多めにしつつしっとり見せる、みたいな芸風なもので……。うーむ、地味……。

 これがだから、「大人気アイドル出演!!」とか「大ベストセラーを舞台化!!!」「360度、回る!!」とか、やりだして、営業をしはじめたら、どうなってしまうだろうか。死ぬんじゃないだろうか。

 ただ、知ってほしいし、コミットしてほしいのだった。届けたい人がいる。見せたい人もいる。居場所の上手く行かなさのある人に、一人で訪れてほしい。それには、どういう出会い方、知られ方がいいんだろう。

 わからない。わからないが、ただ一つ言えるのは、とにかく粘り強く、ただ居る事。継続する事。ただただ、ここに来れば、確実に居る、やっている、という事を示すこと。
 そこには膨大なコストがかかるけれど、そのコストを全身で受け止めながら、僕は居たいと思う。

 ただ居る。継続の苦しさを、ひょいほいと軽みに変えて、出会わなくてはいけないたった一人のあなたに会えるまで、わずかにだけ頑張って、ただ居ようと思います。といっても、やってることは、平日昼間の毎週決まった時間に、ただ居て、コーヒー飲んでるだけなんですけどねーん。



 

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