ジエ子さん。第5回
【ジエ子さんとマスク】
花粉症ではないけれど、四月のこの時期マスクをしている。別にかぜっびきというわけでもないし、潔癖というわけでもないし、そもそも呼吸が面倒くさいから、そこまでつけたいというわけではない。
それでもつけているのは、化粧しなくていいからだった。ちょっとしたコンビニへの買い物には、マスクして出かける。
化粧は、嫌いではないって思っている。小学校の頃は化粧するのは憧れだったし、小6のころ、中2の近所の不良のお姉さんが、化粧をマンツーマンで教えてくれた記憶がある。
実家の近くは工場が多かった。通学路の途中には、無造作に置かれているコンテナがあり、しばしばそこは小学生たちの遊び場になっていた。
わたしは小学校の頃から優等生で、「平澤がいるからこのクラスはいじめがおきないんだ」と担任の男の先生に言われたのは何よりうれしく、しかし同時にプレッシャーだった。なんとか頑張って、この学校でいじめやトラブルはおこしちゃいけない。トランプをもってこさせてはいけないし、エサやりをさぼって金魚が死ぬような事には絶対させてはいけない、と息巻いていた。
だから、わるい人に会うのは怖かった。悪い生徒に巻き込まれて、万引き犯に間違われたら、小学校における地位は失墜してしまう。平澤慈恵はこのクラスを守らなきゃいけない。平澤ブランドを守って、いいクラスを維持し、先生と子供たちとの橋渡しをしなくちゃならない。わたしは頑張らなくてはいけない。
つらくて、よく近所の工場のコンテナの中で泣いていた。
家の中だと、元気にしてないと、両親が「学校で何かあった?」と聞いてしまう。だから泣くならコンテナの中だった。
そのコンテナの中に、メルさんがいた。最初は、泣く場所を取られた、と思った。ここはわたししか知らない場所だと思っていたけれど、よく考えればしょっちゅう子供が通る場所だったし、なによりメルさんの方がここのコンテナにいる暦が長かった。わたしは後からそのコンテナに入って、泣いているにすぎなかった。場所を奪ったのはわたしだった。そうとも知らないで私はコンテナの中に入ろうとすると、先に居たメルさんは、見返り美人の絵のように、こっちに振り返る。
嫌な感じで怖い、ではなく、きれいだなという方向で怖かった。
メルさんは不良だった。中2なのに、手の甲にタトゥーがあった。今思えばあれはきっとタトゥーシールだったと思う。タトゥーシールを手の甲に張っちゃうような中学生を、今だったらいとおしく思うだろう。でもその時は、とても怖かった。きれいだけど、すごく怖かった。デフォルメ化された猫が泣いている図案だった。
メルさんとわたしがどうして仲良くなったのか、覚えていない。あの頃のわたしだったら、すぐにでも泣いて逃げ出していたと思う。でもメルさんはすごく近づいてきた。わたしは一歩も動けなかった。すごく近づかれて、長い髪がわたしの鼻にあたる。枝毛というものを、わたしははじめて見た。
「きれいね」
メルさんの茶髪の髪の毛をじっとみる。枝毛。その間、メルさんはわたしの頭を撫でる。
それから、時々わたしとメルさんはコンテナの中で会う事になった。「同い年の人の事をタメっていうんだよ」と教えてくれた。化粧の実験台にもなった。怖がるわたしに「化粧落としもちゃんとあるから」と試供品の化粧落としを示しながら、すごく怖い笑顔で、動けない私に化粧を施す。
「きれいよ」
と、ちょっと曇った折り畳みの鏡の中のわたしは、違う世界の、悪い人になって先生のいう事を聞かないわたしの顔をしていた。
メルさんは、私が中学に進学すると、どこにもいなくなっていた。同じ地区の公立中学に居たはずだがら、1年と3年で、どこかでは会うはずなのに、メルさんはどこにもいなくなっていた。化粧の基礎を教えてくれたメルさん。
メルさんに教わったより怖くない顔にメイクできる術を覚えた私だったけれど、そんな化粧は好きじゃなかった。前の彼氏も、化粧するわたしを好きにならなかった。素顔がいい、って言われて、それを聞いたとき、すごくがっかりした。
マスクをかければ、別にメイクなしでもどうでもいいと気付いたのは大学に入ってからだった。わたしがわたしのままで、どうでもいいと思いながら街を歩くときは、マスクをつける。
休みの日に外歩くとき、マスクばっかりつけてるなって、そういえばなんか思った。
(つづく)
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