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ジエ子さん。第8回

【ジエ子、演劇のチラシを手に取る】

ここまでのあらすじ。
ジエ子は友人サリーと池袋で飲んでいるのだが、サリーは演劇を見た帰りっぽく、観劇を勧めてきたのだった。

・・・・・・・・・

 お芝居を見ると、大量のチラシ束を貰う事になるらしい。観劇好きはこうして、芋づる式に観劇に関する情報を得ることになるようだ。サリーはたまたま見た演劇の公演——それもホールや劇場でやるような公演ではなくて、パイプ椅子で見るような、小劇場の観劇にハマりつつあるようだ。

 そんなサリーを、わたしはぼんやり見つめている。そして、なんだかがっかりする。
 サリーには、そういう、ハマったものがないから、わたしなんかとぼんやり友達でいられるんじゃないか。サリーにハマったものが出来たら、わたしなんかに会うよりそのハマったものを通じてできた友達と一緒に居た方が、楽しいんじゃないか。

「やすえは演劇見る人ってかんじ、すごいするのね」

 それがわからない。「演劇みる人って感じ」がわからないのだ。

「突然ハマった感じあるね」
「仕事で知り合った人が俳優やってて、付き合いで見に行ったら、すごくよかったの。その知り合いの俳優の人は正直ダメダメだったんだけど、舞台そのものがすごくよくて……それでいろいろ見るようになって……本当おもしろい俳優さん、すごくたくさんいるんだよ」

 やっぱり、そういうパターンになるのか、と思った。
 純粋に、演劇なんていうものを、見たいと思う人なんて、いないんじゃないかなって。結局人繋がりで見に行くんじゃん。そういうのって、なんだか弱いと思う。人付き合いでそれに触れるって、どうなんだろう。結局そういうものにふれるのは、人付き合いができる人だけなんじゃない?
 人付き合いが上手いことが、素晴らしい物になるとは、わたしにはあまり信じられない。

 どこかで、表現とか芸術は、人付き合いが悪い人のためにあってほしい。人のつながりではなく、作品とか、美で人を引き寄せてほしい。サリーみたいな感じの接近の仕方は、ちょっと健全じゃない気がする。
 やっぱり短歌とか小説とかの方がいいかな。短歌や小説は、人付き合いが悪くても触れるチャンスが多い。そういうのこそが、本物の文化への接し方だと思う。

「これー、この岡野さんっていう俳優さん好きなんだよねー。ほらこのチラシで、カニ怪人みたいなやってる人、これ」
「ふうん」
「岡野さん、楽しい感じの芝居から、やっすんみたいな深い演劇まで、何でも出てるん」
「わたしは別に深くないよ。人は誰だって深い」
「いるよ、浅い人は」

 まあ本当はそう思うけど。

「岡野さんおすすめなのは岡野さんすごく、笑いとか、押し付けないの。でも面白いの。ちょっと遠くで面白いの。……芸人さんとは違う。なんだろうなあ。ちょっと遠くなの。芸人さんの笑いとかじゃなくて、あのもちろん役者さんだから、すごく……深い……ちがうな、芸人さんをディスってるわけじゃない。なんだろうな……。あの、笑わせようとする時じゃないときもそうなの。ちょっと遠くでさ。遠くで、なんか優しい人って、遠くで、なんか、全身ぼやーって。あー、ぼやーってなるじゃん。それがその場に居ても、ぼやーって、なんか、気配とか、うん、やさしいの。それが笑いの時もそうなの。遠くて、あーって。難しい、分かんないお芝居の時でも、この人を見てれば、ぼやーって、やさしくて、あ、この人を見てたらOKなんだって。あ、大丈夫私、わからなくてもいいんだなっていうか、見てていいんだなっていうか……。それってね、演劇じゃないといけなかったの。小説とか映画とか漫画って、もう作ってる人が、こう見て、こう構図あって、考えた、見て! なの。でも岡野さんと、岡野さんが出てた舞台って違うの。遠くでいいの。生なのに。客席から、すごく近いところにあって。でも遠くの目で見ててよくて。だからお話わかんないときとかしょっちゅう。でもいいの。それでよかったんだなって。OKだよって。こっちで決めたことを全部全部、そう、しなくちゃいけないわけじゃないんだよ。居ていいんだって。ここで見て、ここに居て、こうしていて、いいんだなって。遠くで。ひとりで、ここで、ただ居て、いい……ていうか……」

 酔ってるサリー。でもわかるよ。好きなものを、伝えなきゃいけなくて、しかもそれをわたしみたいな、厄介な奴に伝えなきゃいけなくて、そして友達でもあるわたしも大切だから、記号みたいな表現だけを使った安直な方法でスキを伝えるんじゃなくて、全部使って、全身遣って、ちゃんと伝えようとしてくれてる。
 わたしは今、うれしいんだよサリー。でもそれを顔に出したら、サリーはちょっと変に思うし、わたしもわたしじゃなくなる。だから、ごめん、テレパシーで、許して。テレパシーで、わたしは、好きなものを全力で伝えようとしてくれている、あなたを今、好ましいものと思っている、と、伝えさせて。

「うん。……だから……ミセスの岡野さん。見てほしいんだよなーって」
「……そっか」
「伝わった? 伝わってないか。わたし話長すぎた?」
「見とれてた」
「……そうかー……伝わらなかったかー」

 伝わってるよ。

「でもわたし、お芝居とか生で見たいとか、そういうの、あんまりよくわからなくてさ」

 伝わってるのに、こう言っちゃうのは、なんでだろう。サリーが傷つくのを知ってて。わたしと距離が出来ちゃうのを知ってて。わたしは本音を言ってしまう。

「そうだねぇ。やっすんは……でも演劇っぽいんだけどなあー」

 サリーは体をそらして店員を呼び、「梅酢チューハイ」を頼む。「わたしもひとつ」とついでに頼む。
 サリーの演説が終わって、ちょっと間ができる。その間に、わたしは何気なくサリーのもっていた演劇の束を手に取る。サリーはやさしく、すっと力をゆるめて束を託してくれる。

「いろんな劇団名あるね」
「やすえの興味はそこなんだ」
「だってこの束の一つ一つに、名前があるわけでしょ。名付けた人がいるんだなって……『鳥公園』」
「あー、なんかいいんだって。そこ」
「『鳥公園』が?」
「なんかいいんだって。あと『ワワフラミンゴ』とかいいって聞いた」
「鳥縛りなの?」
「ちゃうちゃう。たまたま」

 そこに梅酢チューハイが来る。ドンとカウンターに褐色の飲み物が置かれる。サリーはジョッキを手に取り、わたしは無視する。

「鳥公園と名付けた人がいるんだねえ。いいねなんか短歌結社っぽいね」
「そこの主宰さん、女性だよたしか」
「ん、シュサイ?」
「リーダー? みたいな。あたしたちと同年代?」
 後から知ったけど鳥公園の人はわたしたち(24歳)よりさすがに一回り上っぽい感じだった。
「……○○企画、って名前もおおいね」
「『リジッター企画』?」
「え、ちがう。苗字みたいな。」
「ああ、小竹向原でよくやってる」
「あ、なんかいろいろあるんだ。なんとか企画ってのがおおいんだ。なんか「ナントカ座」みたいな感じじゃないんだね」
「あ、座は少な目かなー。ザは。ザはね」
「これなんて読むの、読み方「ろろ」であってる?」
「あ『ロロ』! 超いいよここ! あのねー、ここの『いつ高』シリーズってのが超いい」
「劇団? 劇団ろろ?」
「劇団ていうか、劇団ってつかないっていうか、ロロに「劇団」が付くとちょっと違う感じする。ロロはロロ。俳優全員いい。男の子も女の子も全員いい。全員いい。全員いい! 全員いいなんて空間、この世にある? って感じの舞台なの。めっちゃいいの、ロロ、超いいの」
「え、でも劇団なんでしょ? あーえーいーうーみたいな発声とかしてる」
「あーしてないんじゃないかなーロロって。」
「じゃあ劇団の人って何やってるの普段」
「しらないけど、なんか……暮らしてるんじゃない? 日々……あと、なんか、出てる人ずっと他の劇団とか渡り歩いて、ほらさっきの岡野さんとかたくさん出てるなんか、たしか、『木ノ下歌舞伎』とか」
「歌舞伎に出てるの?」
「あーこれは……なんていうんだろ。歌舞伎座の歌舞伎っていうんじゃなくてなんだろうなー、私もわかんない。でもそういうニュアンスじゃないと思う。ごめん私もわかんないや。あ、『ろりえ』にも出てるよ岡野さんよく。ろりえ、あ、これだこれチラシ。次は……出ないのか岡野さん」
「『ろりえ』……ふーん。……うーん」
「あ、ふーんて感じ? チラシそんな感じハッチャケてるけど、そんなに思ったほどやっすんに合わない感じじゃないと思うよ」
「ん、これは……にじゅっさいのくに?」
「『20歳の国(はたちのくに)』! ここも超いい、めっちゃいい。ここの俳優さんでねー、湯口さんって女優さんがめっちゃ……(梅酢チューハイ飲んで)……いい! でも20歳の国じたいはやっすん向きじゃないかな。やすえ違うっていいそう」

 とここでチラシをばさばさばさーっとやってしまう。なんか力が入ったサリーに気おされてしまった。あわててチラシを拾う。

「こんなに多いんだ。」
「そう。こんなに多いの。全部は見られない。お金かかるし」
「ね。なんか3000円とか……。高いよね」
「好きになるとこんな感じだよ。なんか……こんな感じなんだなあ」

 ジョッキのチューハイを飲み干したサリーは本当に「何かが好きな人」になったんだなって思った。「観劇」が好きな人。それも「小劇場の演劇が好きな人」に。
 
 大丈夫? って思う。つらくない? 好きなものができると。
 だって、演劇をたくさん見てたら、つまらない、ハズレの演劇だってみることになるじゃない。
 もしそんなのにあたっちゃったら、どうするの? 不安にならない? 怖くならない? 日常がこんなに傷ついて、わたしなんかとご飯食べるくらいに疲れてて。その上、「好き」にしてしまったものが、たまたまハズレだったら、つらくならない?

 知らないけど、これが「ジャニーズ」とか「ディズニー」とかを好きになるんだったら、ハズレが少なくなるんじゃないの? って思う。どうしてよりにもよってサリーは「小劇場の観劇」なんていう、ギャンブル性の高いものを、サリーはスキになっちゃったんだろう。

 床にばらまかれた沢山のチラシは、どれもこれもほんのちょっとだけいいセンスしてて、でもきっと、つまらないものだってあるんだろうなって思う。それを思うと、私はとてもじゃないけど観劇する勇気も義理もない。

 でも、サリーがここまでして好きになって、面白いって思ったモノって、いったい何なんだろうっていう気にもなってた。

(つづく)

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