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弱小高校演劇部のヒラコ 第1回

【鳥先輩】

 鳥先輩はもう被服準備室の中に居て、わたしが中に入ると「おはよう」と言った。低いけど、スッと通り抜ける声の音。少し蒸し暑くなってきたのに、鳥先輩は相変わらずの長いスカート。部屋は紅茶の匂いがする。
「おはようございます」
 と私も言う。
 16時。ホームルームが終わるのが、水曜日は15時40分。今は朝ではないけれど。早くもないけれど。演劇部員は、というか、演劇をやる人の挨拶は「おはようございます」と言う、のが、ゆるい決まりらしい。
 その「ゆるい決まり」というのが、いいと思った。それって、中学時代のバド部にいたころのように、大声で挨拶をしろ、というのとは全く違う。
「おはようございます」
 わたしはもう一度言った。鳥先輩は顔をあげ、メガネを直して、衣替え後初めて夏服になったわたしを見る。
「ヒラコって、……やっぱちっさいね」
 そりゃあ、女子で身長167cmあるあなたに比べりゃあ、と思う。

 被服準備室は「教員棟」と呼ばれている、西側の区画の4階にある。教員棟はグラウンドに面していて、窓からそこと、それ越しに見える沈む夕日を眺めることができる。被服準備室、というか、この学校にはかつて「被服室」なる特殊教室があったらしく、家庭科の裁縫の授業などに使われていたらしいが、いまは授業で使われる事ない。その「準備室」はいわば何でもありの倉庫であり、ただでさえ普通の教室の半分しかない準備室には、「かつて使っていたけど今はあまり使わないもの」とか「1年に一度使うかどうかわからないもの」、「捨てるには手が込んでいてるけど保管が面倒くさいもの」などが段ボールいっぱいに詰められ、そこかしこに積みあがって置かれている。
 そこに演劇部の部室があった。
 正確に言うと部室ではない。「家庭科担当教師の温情で一時的に使わせてもらっている」スペース。実質三畳ほどしかなく、そこに学校机椅子2セットを持ち込んだら、私たちにできることって、何?
「お茶、いるかい?」
「や、いります」
 とりあえずお茶を飲むことはできる。
 鳥先輩が鎖骨まで伸びた髪をかき上げて、ポットから、私が持ってきたプラスチックの耐熱マグに紅茶を注ぐ。鳥先輩のメガネが湯気で一瞬曇る。紅茶は、多分校則違反だ。この学校は校則が厳しい事が長所だと思い込んでいるところで。湯沸かしポットも、被服準備室に置かれていた家庭科の授業で使うものだろうし、無断で使っているのがバレたら、「無断使用問題についての話し合い」が行われてしまうだろう。
 でも、教員棟の四階の端の、隙間のようなこの場所に、見回りに来る教師はいない。
 ここは、誰にも見られない場所だ。

「思い出せましたか」
 鳥先輩と机を挟んで対面で向かい合って、手で包み込むようにしてわたしは紅茶の入ったマグを触りながら、鳥先輩のノートをのぞき込んで言う。
「自信はないかなあ」
 鳥先輩はノートを広げ、三色ボールペンを手にしていた。長い手と足を丁寧に折りたたんで、絵心のない感じのがさがさした線の何かと、小さな美しい説明の文字をノートに書き込んでいる。
「これ、……もしかして舞台セットですか」
「うん。たしか、こんな感じでね。駐輪場。木の枠が、あって。多分屋根的なもの? がついてたと思うんだよ。でもね、最初何もないの。女子二人で、舞台の奥? から運び出して、組んで。」
 ペンで鳥先輩は示すが、わたしにはそれは謎の四角い線の集合にしか見えない。
「けっこう大きかったんですか」
「いや、多分、教室の……黒板くらい……だったかな。自信ないな。そんなに大きくなかった……のかな。舞台の端から端まで木の枠が、ちゃんとあってね」
 手を空中で広げて思い出そうとする。鳥先輩のブラウスのボタンが首元まで止まっているのが見える。衣替えの狭間の時期、鳥先輩はまだ冬服だった。リボンもなく地味な指定ジャケットに、鳥先輩のトレードマークでもある赤い羽が胸元につけてある。「鳥」という珍しい苗字にひっかけて、鳥先輩は募金でもらえる赤い羽根を年中胸につけてる。
 このくらいのこだわりでも、鳥先輩は「変わり者」だと言われてしまうらしい。「まあ、演劇部員だからね」と鳥先輩はにやりと笑う。「そっすねー」と、そのへんはわたしも同意する。
「ヒラコの方がヘンだと思うけどね」
「やっぱそう思いますか?」
「だって、入ろうとは思わないでしょ、廃部寸前の演劇部なんて」
「そっすよねー」
 普通、高校生は、演劇部になど入らないらしい。
 まして「部員が三年生の一人しかなく、実質活動休止中の部」になど、入ったところで、何するのって話で。
 実際、わたしはこの1か月、演劇部っぽいことは何もしていない。
「セリフ……とかは思い出さないんですか。てか、脚本とか売ってなかったんですか?」
「いや、ウェブ上にあったんだよ。脚本」
「じゃあダウンロードとか」
「してなくてさ。ネットで開いたら、いつでも読めるって思ってたから。だから、……読んでなくてさ」
 
 鳥先輩は今、ある舞台の上演を思い出そうとしている。
 鳥先輩は、その上演を見て、感動して、「やってみたい」と思ったのだった。
 その劇は、女優二人だけ出てくる、高校が舞台の劇で。
 でもその時は一人だったから、できない、と思っていた。
 そして4月になり、わたしが来た。
 わたしが来たから、鳥先輩は、できる、と思った、らしい。
「なんか……脚本を公開していた劇団のページが、繋がらなくて」
 その劇は、「ロロ」(ろろ)という劇団が、去年(2018年)の8月に上演していた『グッド・モーニング』という演目。戯曲は書籍にはなってないみたいだけど、その劇団は上演戯曲をアップロードしていて、少し前まではネットで見られたみたらしい。だが今(2019年の5月ぐらい)はどういう訳か接続できないようだ→http://lolowebsite.sub.jp/ITUKOU/

 しかたなく、鳥先輩が思い出せる範囲を書き出している。
 私はその間に、部室の隅に平積みにされている「戯曲」を読んでいた。「せりふの時代」という、背表紙が水にぬれたのかシワシワになっている雑誌を手にとる。沢山の「戯曲」が――舞台の脚本が収録されていて、時に舞台写真もあり、その中からなんとなくよさそうな物(で短そうな奴)を読む。
 どれもこれも、登場人物は2人以上で、しかもだいたい男性が出てくる。
 だから、私たちは、ここに書かれているどの劇も、することができない。

「女子がね、二人だけ、出てくるんだ。場所は、学校の駐輪場。一人は、フードを被っていて、たしか……なんだかよくわからないけど、でも、最初から居る。そこに、もう一人の女子がやってくる。最初、隠れてた……んだったっけか。すごく、こそこそしてる。二人。朝。学校の、誰もまだきてないくらい早くに来てて、それで二人は出会う。」
 鳥先輩が記憶をたどっている。
「出会うって、知り合いになるって事ですか」
「うん。多分。名前を名乗ってたシーンがあった。そこでなんか……ひと笑いあった気がする」
「じゃあ、知らない人同士だったって事ですか」
「そうなるかな」
 鳥先輩のメガネのレンズが、西日を反射して白く光っている。 
「……会って、しりあいになって、どうなるんですか」
「……話してた。いやでも、片方がものすごく人見知りで」
「フードの方ですか」
「や、どうだったか。……でもすごく、わかる、って思った。」
「……鳥先輩って、人見知りなんですか」
「見知るよ、人。だから、わかる、って思ったの。そのシーン、セリフがなくても」
 鳥先輩は本当に感動したの? ってくらい、すごくその舞台の事を忘れている。
「私はそのフードの女子の方をやりたいな、って思って」
 鳥先輩がその舞台が好きだったであろうのは、話しててなんかわかる気がして。
「私みたいだって思ったから。……なんかその子、目がずっと泳いでたのね。……本当にそうだったかはわかんないよ。そう思った。でもね、中盤だったかな。もう一人の女の子、フードじゃないほうのね、女の子と目が合うシーンがあって」
「登場人物の名前とかわかんないんですか」
「あ……、いや……えっとね……。えっとね……」
 ああ、下手に口挟むと鳥先輩は止まっちやうんだな。
「あ、分かんないならいいです」
「……そのね。目が合うシーンが、すごく。セリフとかたぶんなかったんだけど。あっ、て。分かったんだよヒラコ。私、わかるって、すごく思ったんだよ。最初はずっと目が合わないの。フードの女子。もう一人の女子も、目が合わせられないの。でも、二人は話す。話して、二人は、違うけど同じなんだけど、でも違うんだなって感じになる……。あーって。思って。私もいままで、何度もそんな事あったなって、思ったんだよ。でも、ある時、ほんと、瞬間なんだよ。目が、スッて。自然に。そういうシーンが……いや、そんなシーンあったかな? 私の妄想か?」
 なかったんかい。って言いたくなったけどわたしは黙って聞いている。
「……で、最後のシーンに、……最後だったかな。いろいろあって、言うんだ、二人は。『おはよう』って。……そう。やっと言えて」
 そう言って、目を宙にうかせて、説明と一緒に動いていた長い手と指が、ゆっくりと膝に降りていく。
「……っていうのが、やりたいな、って」
 鳥先輩がこちらを見る。
 わたしは、『せりふの時代』を閉じて鳥先輩の顔を見る。
 黙ると、本当に美人だなって思う。顔も小さくて、髪も長くて、先が内側にクルンとなってる(巻いてなくて天然だと思う)。手足も長い。指も長い。まつ毛も長い。目の下にふたつほくろがある。あごがまるい。
「何?」
「あ……いや。でも、脚本がないと、できないですよね……って」
「……そうだよねえ」

 でも、鳥先輩は、ずっと演劇が出来なかった。なぜなら、部員が去年、鳥先輩一人だったからだ。
 鳥先輩は今、三年生だ。鳥先輩が演劇をできるチャンスは、今年の8月末にある秋の大会が最後だ。

【つづく】

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