ジエ子さん。第7回

【ジエ子の親友】

「え、じゃ結局別れちゃったの? 太一さんと」
「別に付き合ってもないからわかれてもない」

 わたしは静かに、だけどハッキリと伝えているつもりだが、サリーは聞いてるのか聞いてないのか、人差し指を口に持っていく。前から気になってたそのクセ、女の子らしい仕草だなと思ってそれとなく指摘すると、「最初はわざとだったんだけど、もう無意識になった」とのこと。

 肩まで伸びている髪をしっかりと撒いていて、メガネにはこだわりの、ちょっと変な赤いフレーム。大きな目は童顔なのに身体は大きくしかもスリム。スタイルもいい。足も長い。小指と薬指が長い。背が大きいのに、仕草一つ一つがメスっぽくて、全体的に小柄に見える。

 佐藤理衣を略して「サリー」というあだ名は幼稚園時代からずっとかわってないらしく。いっぽうわたしは「慈恵」なので漢字が難しいのと、「やっすんは性格が難しいから」らしく、いままであだ名があまりなかった。「ジエ子さん」と会社であだ名をつけられているのは、経験したことのない状態だ。

 「やっすん」「やっちん」「やーす」など、変動するあだ名で呼んでくれるのはサリーだけで、そんなサリーには同性の友達がわたしくらいしかいない。他の女の子に聞いてみると、サリーは「男に媚びてる感じがする」「女をバカにしてる気がする」と、ちょっとだけ評判が悪い。
 そんな風にサリーの事を言う女の子たちを、わたしは好きではなかった。

 サリーは高校と大学からの友人だ。といっっても、高校時代で同じクラスだったのは一年間だけだったし、大学は別の大学に行っていたので、四六時中べったりいるという関係ではなかった。

「やっすんはさ、難しいんだよ」
「何難しいって」
「こういう風に誘っていいのか、あたしいまだによくわかんないもの」

 サリーとは、絶妙に近所とは言えなくもない距離にお互い一人暮らししている。とはいえ、夕飯のオカズが余ったからおすそ分け、みたいな距離感ではない。がっつり電車で5駅くらいの近所だ。
 サリーは医療事務の仕事をしていて、今日は遅番が不意に来なかったため無駄に仕事をやらされて、遅い時間になったらしい。

「飲みたいなあと思ったときに、さそっていいのかわかんないもん。やすーんは」
 サリーはまた指を唇にもっていく。
「こうして誘ってるじゃん」
「勇気出したの。わりと。ラインの文面もちゃんと考えてさ」
「……別に行きたくなったら行くし行きたくなかったら来ないよ」

 池袋に呼び出されたわたしは、サリーのチョイスした「ハンバーグで酒を飲む」という謎の飲み屋で、本当にごはんメニューがハンバーグばかりで、それを肴にカシスオレンジを飲んでいた。肴が酒に合うとか合わないとか、そういう発想も、酒を飲み始めて4年のわたしにはよくわからない。
 サリーはグラスビールをぐびぐびいく。最初からジョッキで頼んだ方がよくないか?

「だってさ、やっすんは複数人の飲み会とか、そもそも好きじゃないでしょ? 友達と遊ぶっていうのも、けっこう露骨にむかついてるときあるでしょ」
「え、ないよ」

 本当はある。

「だから誘い難いんだよ。ラインの未読スルーを覚えたみたいだし」
「それはすまねえ」
「……いいんよ。可愛いところだよそれは。愛せるところ」
「ばかにしてるなあ」
「してない。愛せるなあって」

 わたしには同世代の友人と言える人が極端に少ない気がする。ほぼ、サリーくらいだ。サリーを通じて、他数人くらいの付き合いしかないし、サリーと縁が切れてしまったらその子たちも連絡してこなくなるだろう。

 サリーは、連絡がいつも意図と意味があるところが好きだ。

【28日昼新宿で謎解きイベントあるんだが来ない? 他わたしの友達2名計4名全員女金はそんなかからない終わったら飯。】

 みたいに、わたしが知りたい情報を一回のラインのメッセージでコンパクトかつ重要な事を全部盛りで、しかもスタンプは最小限なのもいい。こういう、ラインの文面だけは男っぽい所がいいなと思う。

【いかぬ。】

 とわたしが返事をすると、

【(長椅子)】

 となぜか初期設定で入ってくるスタンプの全く意味のない家具を送ってきて、それで連絡が終わるのである。それで何の後腐れもない。

 こんなわたしに、サリーは最近頻繁に飲みたいと誘ってくる。
 何回かは行き、何回かは断っているが、今日はこのままだと何もしない休日になると恐怖して、通勤定期をフルに使い休みなのに池袋まで来たのだった。

 というか、どうもサリーは疲れている。ラインの文面で、なんとなくそれは伝わってくる。

「あ、サリーあれは何。あの、演劇とか見る? っていう」

 サリーにしては珍しいラインのメッセージだった。

「ん? 言葉通りなのだが?」
「演劇って。演劇?」
「そう」
「……大学時代に友達がやってるのを見たのと、……そんくらいだけど」

 演劇を、2回見た事があるのは覚えている。大学時代。学生演劇だ。

 大学の演習で仲良くなった女の子が出ているというので、誘われていったのだった。
 学生会館という建物の地下で行われている学生演劇で、劇が行われる地下の空間にはテラスがあり、道具を作る中庭のような場所があったのだけは妙に覚えている。
 ただ、覚えているのはそれだけ。

「最近、わたし見るようになって」
「へー。」
「なんか、一回お芝居見に行くと、たくさんチラシ貰えるの。ほら」

 サマンサタバサの茶色いレザートートの中から、サリーはぐいと、もさっと紙束を取り出す。

「……どう?」

 いや、どうって。

「やっすん、実は演劇見たりとかするといいんじゃないかなーって思ったんだよ。」
「なんでよ」
「やっすん短歌好きじゃん」
「いや、好きだけど」
「短歌好きなら、演劇見たらいいんじゃないかって」

 なぜ?
 たぶんあまり可愛くない目をわたしが向けると、サリーは照れ笑いを浮かべながらグラスの中のビールに向かって語り始める。

「なんかね……演劇って、あ、こういうのなんだ、っていうか、……お笑い? みたいなこと? ……ドラマ? みたいんじゃないんだっていうか、深いとか、そういうんじゃなくて難しいとかじゃなくてなんだろう……。なんだろうなーって、これ、今見てるこれ、なんだろう、なんだろうなーっておもったら、やっすんの顔が浮かんだの。やっすん、演劇、みるのかなって。みたらいいのかなって。なんでかは分かんないけど。なんかでも、やっすんの顔が浮かんだんだ、お芝居みてたらさ」

 サリーが見たというのは、『再生ミセスフィクションズ2』と書かれたチラシ。手が蟹のハサミになった人がキメ顔でこっちを見ているチラシの写真が目に留まった。

「なんだこれ」

 ぼろんと、胆石が口から出たみたいにリアクションが出た。

(つづく)

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