ジエ子さん。第6回
【ジエ子さんの周辺の人々。】
「たとえばですよ、」
と白のメガネの、32歳の、独身の、スーツのジャケットの袖口の部分がしわになっていて、どういう服の着方をすればそこにシワができるのかわからない太一さんは、私のデスクに触れないように気を付けながら、わたしの出した企画書を手にして立っている。
「平澤さんがラジオ好きなのは、僕は知ってますけど、本当はそういうのも、仕事の上では、企画書上では、だから何? っていう話なんです」
この人は私の「新人担当」という事で、もう2年も「新人」をやっているわたしに、なんかいろいろ教えてくれる。わたしは自分のデスクの椅子に座りながら「上司が立って、いろいろ説明してくれている時、わたしは立たねばならないだろうか。しかしこの場合太一さんが別案件をやっているわたしにわざわざやってきて言いたいことを言っているわけだから、立つスキもなかったわけだし、とりあえずぼーっと座っとけばいいのか」という事を考えていた。
「だからね、平澤さん。こういう時使えるテクニックがあるんです。平澤さんは先方に、ラジオ広告の可能性を、と言いたいわけですよね。でも先方にしてみたら、突然なんです。突然、ラジオっていいだしたなあって。その突然を、突然にしないために……ニュースがあるんです。ニュース。時事ニュース。サラリーマンが新聞読もうっていうのは、社会勉強とかじゃなくて、共通の言語を作ろう、みたいなことなんです」
「わたし、新聞好きですよ」
「うん。僕も好きです」
太一さんは、話の腰が折れたにもかかわらず、返事が早い。そして、わたしの返答を待ってくれている。
「一応、企画書の頭に……フックでしたっけ。ニュース記事の引用をちょっと入れてみたんですけど」
「うん。そうだね。前言われたことを、平澤さん、ちゃんとやってる。でも惜しい」
太一さんは、この間、花見の幹事をやらされていた。太一さんはお酒が飲めない。だから一度は幹事を引き受けるのをためらっていた。
「僕のようにお酒も飲めないつまらない人間が、花見の席の首席幹事っていうのは、どうなんでしょう。皆がっかりするんじゃないでしょうか」
と、わたしのデスク越しで、前かがみになっている太一さんが社長に小さな声を出していると、珍しく、52歳の、口髭の、ゴルフ苦手の、常に茶色のワンアイテムを身につけている、歳にしては長身の、183cmある社長は声を荒げて太一さんをたしなめる。
「やってみなければわからないだろうか。」
こうして太一さんは花見を仕切らされた。結果はものすごく空回りだったし、今年の新卒の子たちも引き気味だったし、あと寒かったりもあったりで、さんざんな花見だったけど、社長だけは「いい花見だった」と半ば強引に〆ていた。
でも、わたしもいい花見だったとは思う。お酒が飲めない人の気持ちが伝わってくる花見だった。まるで太一さんそのものという感じがしたけど。
「惜しいんですよね。ニュースをただ引っ張ってきただけで、これはフックにならない。フックって、わかるよね」
「ひきつける力ですよね」
「そう。企画書の一ページ目を見て、引きつけられるような、何かね。平澤さんのアイデアは、すごくいいと思うんだよ。ラジオ、僕も聞くし」
「なに聞くんですか?」
「サンドリ。有吉弘行の」
太一さんは即答する。太一さんは頭がいいと思う。コミュニケーション能力も、ある意味高い。でもある意味低い。
「聞いてます。私も。太一さん、ゲスナーなんですね」
「うん。で、だからこの企画書の引用のニュースって、ただラジオの書きおこしなんだよね。面白いけど。でも、だから何? なんだよね。君が、ラジオが好き。それは分かるんだよね。ラジオが好きだから、広告出しませんかっていう流れ。それだと、だめなんだよね。それをいう君、何者? っていう話になる。どんなに好きでもね。ダメなんだよ。」
「ビジネスになってない、っていう奴ですよね」
「そう。それ。」
太一さんは花見の後、2日寝込んでしまった。公式には風邪を引いたっていう事になっているが、社内恋愛している米山さんに聞くと「太一は花見で責任をとりたいって、気に病んでるんただよ」との事だった。
「別にわたしはいい花見だったと思うんですけどね」
「太一はばかだから」
「でも親切ですよ。すごく信頼できる……じょうし? です」
「太一って上司感ないよね」
「わかりますそれ、ってわたしがいう事じゃないですけど」
「弟って感じが抜けない」
「わかりますそれ」
「ジエ子、弟いるん?」
「いませんけど。てか米山さんもジエ子っていうんですね」
「太一も言うよ」
「えー」
ちょっとショック。太一さんはわたしの目の前ではちゃんと「平澤さん」と言うけど。
「でも一番まじめで、ちゃんとしてるって言ってたよ」
米山さんはタバコを吸いながら、長い髪を左右にふりふりする。髪が振り子のように動いて面白い。背はわたしと同じくらいだけど、歳も多分、米山さんが一つだけ上だと思う。
「太一は妹がいるって話したっけ。ちょっとジエ子に似てる気がする」
今月の6月に、太一さんと米山さんは結婚する。それで、来年の3月をめどに、米山さんは退職をする。
「だから、ニュースを引用するときにね……平澤さん?」
「聞いてますよ」
わたしは聞いている。あなたの言葉を。
「”最近、ラジオを聞いている人は増えています”というフックをかましてから、それを補強するようなニュースを頭に持ってくるといいかも、この場合」
「増えて……るんですか?」
「ん? 知らない。知らないけど、実はどっちでもいいんだ。”最近、ラジオを聞いている人は減っています”でも。そのあとに、『一体どうしてでしょうか?』って言う、とかね」
「……なんでなんでしょう」
「その、なんでなんでしょうって、思わせるように、企画書の1ページ目の最初の文を書くといいんだよ。なんでだろう。なんで増えてるんだろう、減ってるんだろう。どうしてなんだろう。」
本当、どうしてだろう。
「そういう風に先方に思っていただく。この企画書を読んだ人に、そう思っていただく。そうすると、平澤さんが「ラジオ広告はお勧めです」という事じゃなくて、先方が、「世の中で今ラジオという媒体がこういう動きをしている」っていう事に気付くことになる。世の中がこうだから、こうしてみようか、ということになるんだ」
「わたしのオススメです、じゃダメってことですよね」
「うん。私個人のおすすめです、ではなく、もっと広いものから、我々はこうするといいのか、というように気づく、みたいに、誘導するのが、企画書のコツ」
そういうと、太一さんは、わたしの頭をポンとした。
わたしは、一瞬だけ、顔をくしゃっとする。 太一さんはそのまま自分のデスクへ去っていく。
すごく嫌じゃないですか? この「ポン」。
セクハラとはいいません。でも、太一さんは、米山さんにこういう事をすると思いますか? わたしが、何でも言う事を聞く、まじめで、小さい、力のない、何の反論も鋭い質問もしない人間だから、「ポン」ってするんじゃないですか?
米山さんにはこういうことしませんよね?
米山さんにはもっと、分かりにくい言葉で、男性社員と同じような言葉遣いで企画書のダメ出しをしますよね?
米山さんの前ではスーツの袖のシワとか、もっと隠しますよね?
米山さんとわたしは一歳しか歳は違いませんよ?
米山さんよりいい大学、わたし出てますよ? 早稲田だし。明治学院大学よりは頭いいつもりですよ?
そんなに「ポン」しやすいあたまですか? わたしの頭。米山さんほどじゃないけど、ちゃんとセットはしてるんですよ?
9歳も年下の女と社内恋愛してるくせに、陰で「ジエ子」って呼ばないでくれませんか? 二人っきりでいる時にわたしの話なんかしないでくれませんか?
・・・・・・・・
みたいなことを、休みに入る前に、あったなーと。
総菜パンを食べて、今自宅の、3連休の1日目が、何もしないで終わる。
今日のアメトーークは総集編か、と思いながら、明日と明後日、どうしようか—なと思っていたら、ラインが来た。
サリーからだった。
『やっすーって演劇とか見る?』
(続く)
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