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ただ居る記。第6回

 先週も居た。
 そして、今日も居るのだけれど、来週は居ない。

 居るのは、人や生物に限られたことなのか。たとえば、我が家では電子レンジが壊れてしまった。東京で一人暮らししてずっとの電子レンジなので、修理ではなく買い替える事にしたのだけれど、有料の廃棄物になるため、廃棄の業者に来てもらう必要があるらしい。
 その業者に来てもらうのが、2週間後になる。

 2週間、電子レンジは、その機能を果たさないまま、ただ居る。

 私は3畳間に住んでいて、すべての生活はその3畳でこなしているのだけれど(囚人のような部屋に大量の劇団の小道具があると考えていただければいい)その中で、「元・電子レンジ」が占める「ただ居る」率は高い。

 役に立たない事を「ただ居る」と言うのか。また電子レンジだって、レンジとして使われてない時は「ただ居るなあ」とは思わなかった。役に立たなくなった瞬間、「こいつ、ただ居やがる」と、その存在を強く意識してしまう。

 『荘子』に、「無用の用」という考え方がある。いろんなたとえ話があるが、たとえば「巨大なクヌギの木があり、街のシンボルになっていて大切にされていた。それを見た大工の棟梁がケチをつけ、『クヌギは船を作れば沈むし、棺桶にすると腐るし、家具を作れば壊れるし、ヤニだらけになってしまう。こんな木は役に立たない』と弟子たちに言う。ところがその日の夢でその巨大クヌギが出てきて『すべての人や物は、有用であろうとして命を縮めている。だが、俺は今日まで、一貫して無用だった。だから切られずにこうして天寿を終えようとしている。どや。』と反論する。

 役に立たないから、ただ居る。ただ居るうちに、巨大になって、観光名所になりその木の下が賑わう……。これは理想の「ただ居る」だ。

 ただその一方、棟梁の情熱だって理解できない事はない。
 仕事に生き、自分の命を燃やしてまで何か他人に役に立つものを、何かを成そうと頑張ろうとする考え方もある。

 それにこのクヌギだって、街の出来そうな平野にあったという環境の良さだってあるだろうよ。過酷な山や谷や崖にただ居たら、こんな風に、ただ居ることを、誇れるように思えたものかなあ。

 同じく荘子に、帯金造りの名工の話がある。ある人が職人に、どうしてそんな腕がいいのか尋ねられた。職人は「帯金造り以外のことに心をとられたことがないからじゃないですかね」と答えた。
 【他に心を用いないという「無用」によって「有用」を持ち続けることができるのである】云々……と解説書はいう。この話もよくわかる。「この仕事以外できないから、こんなに頑張れたんだ!」というのは、俳優や演劇に関わる人、芸術系にはよくある話だ。

 そう考えるとなあ。

 山本は、バイトが好きではない。ただ山本は、バイトを「三か月くらい耐えたら、なんか出来てしまう」程度に「有用」だったりするのだった。
 決して有能ではない。だけど、好きでも無い事に、有能感だそうとするあまり、頑張れてしまうのです。

 24歳の時、バイトを頑張り続け、貯金が百万円を越してしまったことがある。
 「俺は何をしているんだ」と呆然としてしまった。百万円て、クイズハンターがもらえる額じゃないか。と同時に、「俺はバイトで百万円溜めれてしまう程度の男なんだなあ」と、しょんぼりした。

 『演劇だけしか出来ない、不器用な男』でありたかった。なんかかっこいいじゃないか。「それしかできないから、演劇やってるんですよ、ええー」と、インタビューされてみたいじゃないか。吉田豪相手に、クイックジャパン的な奴に……。

 でも、この百万円は『演劇だけしか出来ないというわけでもない、中途半端な男』であることの証明になってしまった。
 演劇という場に、やむを得ない形で、ただ居られない。
 金銭的につらくなったら、バイトできて、頑張れば、不器用な形でも、百万円溜める事が出来てしまう。あらめて言うが、百万円といえば、クイズハンターだぞ。と同時に、この社会で、東京で、百万円なんて、1年くらい「ただ居る」だけで消費してしまう額でもある。

 『論語』で、孔子曰く。
 「吾不試 故藝」(正社員として使われなかったので、いろんなバイト(藝)ができるようになってしまった) 

 孔子は、けっこういろんなことができたらしい。馬を育てればよく肥え、身体も頑丈だったので貧しい頃、ひととおりの肉体労働をしながら「葬儀セレモニー演出家、兼官僚、兼政治家」の勉強をしていたのだけど、何でもできるという事は孔子にとって

 「君子多乎哉 不多也」(面白い人って多才なものかね? そうじゃないと思うんだよなあ)

 とのこと。

 すごく、わかる。

 同時に、孔子ってバイトが出来ちゃうこと、そのバイトのおかげで、なんとかやってきた事、ただそこに居るだけで人が寄ってくる「無用のクヌギ」にはなれなかった事。そして、「無用のクヌギ」のかっこよさ、面白さを知っていること、それに成れない事に恥じている事に、いいなあと思う。

 さて、そんなわけで、壊れた電子レンジなんですよ。

 電子レンジ以外出来なかったのに、その電子レンジの機能がなくなって、僕のような中途半端な奴に「役立たず」と捨てられてしまう奴と、これから2週間、ただ居る。3畳間に、ただ居る。
 今日は彼を廃棄するための「有料粗大ゴミ処理シール」を買ってきた。
 800円だった。

 最近なんかそんな感じです。

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