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生きるってなんだろう

「苦しい」

昨日、朝様子を見に行くと、母は目も開けられず、ほとんど声も出せず、絞り出すようにそう言いました。



少し前から辛い時、痛い時は、持続皮下注射のレスキューボタンを押すことになっていますが、辛すぎて、ボタンがどこにあるか探せなかったため、どんどん辛くなってしまったようです。

レスキューボタンを押してから、母の手に握らせて、何度押しても危険な量は出ないように設定されているから、いつでも押して良いことを、再度伝えました。


昨日はお医者さんの訪問もあり、看護師さんが何度も様子を見たりケアしたりしに来てくれました。
その甲斐あって、夕方仕事の後で見に行くと、多少の会話ができるようになっていました。
薬の濃度を上げてもらえたようで、2時間くらいすればもう少し効くかもしれないからね、と言われました。


安心して過ごすために、紙おむつを用意するように言われました。


わざわざ買うのももったいないからと母が拒んでいた、前あき肌着や、前あきのパジャマも、ヘルパーさんに手伝ってもらうにはあったほうがいいし、人生最後に、あり合わせのヨレヨレの服で過ごさなくてもいいよ、キレイなのを、そして動きやすいのを着て欲しいという気持ちもあったので、母にも説明すると了承してくれたので、どのくらいのサイズ感や素材が良いか母と看護師さんと相談して、そのまま買いに行きました。


仕事の後に看護師さんの訪問があって、その後に出かけたので、帰宅は9時半すぎてしまいました。
三男を預けて行ったため、父もお風呂に入らず、母も眠れず、私の帰宅を待っていてくれて、申し訳なかったです。

昨日は、お医者さんから父に、お看取りパンフなるものを渡されて、長くても1、2週間、もしかしたら数日で亡くなるかも知れない、と伝えられたそうです。

だから、早くしないと間に合わないし、少しでも不快なものを取り除いて過ごして欲しいと思い、急いで買いに行きました。



母の症状が急激に進んでから、体調が悪いなかで過ごす時間が3ヶ月を超えました。

緩和ケアをしてもらっているけれど、癌の終末期の辛さは、完全には取りきれていません。
これで良かったのかと思ってしまうけれど、訪問してくださる看護師さんたちが、母の様子を見ても驚かないということは、これが普通のことなのかも知れないなとも思います。

在宅緩和ケアを受け入れた時、母は、こうやってだんだん人が亡くなるのだということを、子どもたちに見せるのも大切な事、と言っていました。
子どもたちも、少しずつ受け入れている様子です。
そして何より、私の父や、弟、私自身も。

ただ、受け入れてはいるけれど、辛い気持ちには変わりありません。
どうして母はこんなしんどい思いをしなくてはいけないんだろう、何でいつかは死んでしまうのに生まれてくるんだろう、生きるってなんだろう、と、頭の中がぐるぐるぐるぐる、回っています。


苦しくても、ほとんど弱音を吐かず、ここまできても「子どもにご飯食べさせたの?早く帰ってあげて、子どものことやってあげて」とこちらの心配をする母。
私にとって、母が生きていてくれることは大きな意味があるけれど、今の辛い状況にある母にとっての1日、1週間というのを母はどんなふうに捉えているのだろう。
私ならとっくに、もう嫌だ、辛い、苦しいと叫んで、もうやめてしまいたい、と騒いだり、悪態ついたりしているだろうなと思える状況で。

死を目の前に感じる場面はほとんど無くて、良いことも嫌なこともあるけれど、いつもの日常がいかに幸せなことなのかと改めて感じます。

今、普段は意識しないようなことに直面し、恐怖や不安に襲われています。

苦しい1日を、今日も母が過ごすのかと思うと、胸が締め付けられます。

でも、母はきっと、私や子どもたちが、いつもの日常を元気に過ごすことを願っているでしょう。
私のやれることを、やれる範囲で、今日もしっかり生きようと思います。

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