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悪口

あまりプライベートなことを書くのも憚られるのだが、噂ばかりに惑わされるのももういい加減にお終いだという気がするので、少しばかり夢想してみようかなどと・・・。

その噂や陰口や、諸々の悪性とされる言動によっていままで普通に生活できていたにも関わらず、社会的に困難な生活に追いやられてしまった人を知っているのだが、それこそ根源は波紋が広がるのと同じでやがて消えるものだという認識だったとしても原因となったものは罪深いなぁと思っている。

何もしなかったかと聞かれれば、何もしなかったわけではない。ただ、目的をみたときに共依存になるのはマズいのである程度は対話をしたが、もうやれることはやったという感じ。というのも、相談役として、だが素人として迂闊な発言はできなかったので。
精神が疲労している状態でまず、休みたかったのはわかるし休めばいいとは言った。

大したことのないはず、の小さな悪言が石礫となって人に襲い掛かるあの現象は、投げているのが個人ではなく、集団によるものだという自覚がないのだろうか。
集団ではなく個人から発しているからあとは知らない、自分しか見えていないとでもいうのか。とにかくそれらの言葉のもつベクトルが一致したときに、軽口のはずの一言一言が大きな渦となって人に襲い掛かる衝撃を体感したことがないのだろうか。

残酷なのは他者への想像力がなくなることだと思っているが、軽口が山となっていることの自覚がない、ただの悪口というのは、本人がそう思っていたとしても、言い続ければ罪深いという感想に至る。
あるいは潰したのだとも想像せずに、ただいなくなった、また新たな生贄を求めて噂や悪言は絶えることがない。

例えばなにかにつけて当たり前を揶揄するのは筋違い。そもそも平均がそうであるだけで、個人としては一指針に過ぎない、あってないようなモノ、あえて言うならそのために倫理があるのでは?とすら夢想するほど。
緑が色彩の中間地点であるとして全員が緑になる必要がないように。そうして安心、ヒーリングの色であるはずの緑を揶揄するうちに灰色になってしまったのなら、もはや黒とも白ともつかないカオスのなかで、再び色を求めて混乱するかもしれない。つまり相手との境界線を、暴力によって踏み越えて来る可能性がある。

因果は故意に起こるものではなく自らが引き寄せるものだ、という考えに私は同調する。尚悪口というのは言い続けるうちに生気がなくなっていくように見える。これは天体で考えてもそうで、地球から冥王星までのうち、海王星を芸術等に使わずにいると、次第にネガティブな妄信や拡大解釈に取り憑かれ、精神的ではない肉体的な冥王星(死)へと向かう過程とも想像されるただし、素人の考え。一度肉体が破壊されてしまうと次は生まれ変わり?
冥王星の、死から再生の機会が先延ばしされてしまうのだろうか・・・。

何かに中毒しているときというのは、一種の恍惚感により若返った錯覚もあるのだろうが、栄養ドリンクを、一日の摂取量を無視して取り続けている状態、源が枯渇しているからだということに気づかない方が恐い。

だから彼らは彼らのやり方で、悪言を放つことによって自らを罰しているという一種の因果が出来上がってしまうのではないかという考えもある。
で、言われるほうは人畜無害といわれる、これまた海王星の匂いがしそうな感じの、なんでも受け入れそうな感じの、といったらいいのか。

自分の機嫌を取れない人が人を貶めようとするともかぎらないが、とにかく立場を守るために、見せしめで行うのか。生贄にしやすい人物像が浮かぶのかもしれない。防ぐには海王星を陽転させるしかない、という考えに至る。つまり自己受容、自己肯定感を上げる、芸術への昇華、あと、自らの陰の部分を受け入れる。受容というのはなんでも受け入れることではない、ということとか?精神的に柔軟になるというのもそうかもしれない。



写真は Irina Iriserによる写真: https://www.pexels.com/ja-jp/photo/1420008/  から


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