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3/4〜

うちのこ。


あくまでも雰囲気を抽出して出した人物。タルパ作りに勤しむオカルトマニアではない。
客観の雰囲気がだいたいこう見えてそうだなと作者得で作った擬人化なので。尚中心は龍高星。自分の目を疑ったのも無理はない数値では玉堂(ヤマトナデシコ)が何気に幅をきかせていた←言い方。
そんな彼女にとっては外来種でしかなかった龍高以下同文はなぜかナデシコよりもあのボサノヴァが気になる。例のそばかす嬢も気がかりだがなんといってもこれで自分と同じ表現を語ろう(創ろう)というのだから同志として物申さねばならぬ。
_スマホを触るんじゃない、走りながら考えろ。
_えーだってセンパイ、そんなんしんどい。

ところで最大の黒幕である貫太氏はその時、自宅でコーヒーを片手にひそかに笑っていた。

最近なぜか意識がスッキリして邪念よろしくジャンクなものへの意識が急にパタリと止んだ。あ、blとかそんなのは別にして。
頭が爽やかになったというのが正しい。

ーーーーーーーーーーーーーーー3・5
さて、もっともノイズとなっていた影たち(スピ的に)は結局自分の選択次第で消えたというところで、なにが一体引っかかっていたのだろうとみればやはり海王星のネガティブを密集したような問題、ここについてまた夢想してみたい。星にしたのは、たとえでも他人は他人という認識があって、プライバシーに触れるようなことは個人的にしたくないというものもある。ここで具体的にいえば、同調に巻き込まれた人たちがいた、くらいまでしかないので。誰だって心はあるので、ネガティブが悪いわけではないけどもあまりそこに長居するとその世界に(海王には抗えずに)蝕まれてくる、だろうと。否定することでしか周囲を肯定できないという矛盾がある。肯定には肯定の言葉があるのに、わざわざ否定を使って肯定する・・・。
不運だと言えばそこに幸運はない。
だから離れることもやさしさ、縁を切るのも人のためっていうのは個人として推せる言葉ではある。
敵がいる、という肯定をする。敵に仕立て上げるのは味方をつくるという意味でも、あるいは集団によってある意味心理的に狩る、という発想もできる。だからといっていつまでも敵が敵であるわけでもない。
この、敵が敵として本人のなかで居座るのは停滞ともいえるけど、停滞ならまだしもそこから腐敗してくるのが厄介というか、気として伝播(感染)するのではないかと。というのは一端そうやって陰という立場を固定すると流れがなくなり、流れがなくなるということは今まで流れていたものをせき止める、偏りが出てくるので、しかも陰の存在を固定する、存在していたはずの陽を否定するという点でややこしい。
陰も陽も個人とか世界によって変動するので常に一定ではない。これは自分の中にある陰と陽を他者に投影した場合の話。
で、陰が極まっていったさきに、自分たちの内部には陰しか存在しないとすれば、引力的に外部の陽が来るということになるだろうと。
そんなことない、自分たちはあいつとか、あの教えとか、たった一つだけを否定しているだけで他とはうまくやっている。
逆にいえば彼がいないと自分たちは幸せになる勇気がない。それほどに肥大した外部の陰、悪役を一体どうしたら「排除」できるのか。大概の場合集団になれば力で押せる、というのもあって、それは誘惑になりやすいとも思うんだけど。で、作者でいえば現実ですとーかーとか、大勢の前で悪口を言われる、また仲よくなれそうだった人が良く思わない人に引っ張られて機嫌よく悪口を言うようになってしまった(染まった)とかは経験済み。

こういうのはよく見てると内面での女性性と男性性のバランスに問題が出ているようにもみえる。卑屈になった女性性が出ている。本当は癒されたいのに攻撃的な男性性の影響で陰転している。男性性が女性性の気持ちを汲んでいない。女性性を守れるほど逞しければ、女性性も誇りを取り戻すかもしれない。だがそれは他者から奪うものではない。ということと想像する。
「マインドコントロールの恐怖」によれば、あるサークルはパーティーを開いたり側からみればすごく仲のいい集団だったのだが、ある一つの対象に関しては異常なほどに攻撃的になったと。ただ、この問題を解決するには他人ではなく、自分のなかでケジメをつける必要もあるんじゃないか。
場合によっては他人をゆるさずに、自分の中に統合する。彼らとの陰陽の交換を絶つというか、関係性を切る、とか。

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