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文化の盗用とリスペクトの違い

文化の盗用: ある文化の要素(洋服、音楽、宗教など)を他の文化の者が流用する行為のこと。

例えば最近よく取り上げられるのは、ドレッドやブレイズなどのスタイルを黒人以外の人がファッションに取り入れることや、GIFなどで黒人の人たちの画像を使うことなどが挙げられます。

私はこれに関する記事を色々読みましたが、どれもなんとなくぼんやりしていて難しくて、正直よく分かりませんでした。それでアメリカ人の友達に話を聞いてみたところ、なんとなく本質が分かったような気がするので、彼女との会話の後に考えたことをシェアしてみようと思います。これに関しては本当に様々な考え方があると思うので、あくまで個人的な意見として読んでいただけたらと思います。

そもそも何が理解できなかったかというと、リスペクトと盗用の境目がよく分かりませんでした。例えば、私はコロンビアで旅行して黒人の友達の家にステイした時にコーンロウにしてもらったことがありますが、それも文化の盗用なんでしょうか?
ボリビアのウユニ塩湖では、オシャレにアレンジしてボリビアの布を身に着けているアジア人女性がいましたが、それは良い意味で他文化を発信することにはならないのでしょうか?
日本のことが大好きな留学生に浴衣を着せてあげたいと思って着せてあげたのはどうでしょう?

でも、友達から話を聞いてこれら全ての疑問が一気に解決しました。
まず気がついたのは、文化の盗用にはおそらく2種類あって、それがごちゃまぜに議論されてるから良く分からなくなっているということです。

一つはマイノリティとして苦しんできた人たちの文化を良いとこどりするような盗用です。これには、髪型のせいで登校拒否される子どもや、強制的に職場で髪を切らされる女性や、髪質的にコーンロウにせざるを得ない人がいる中で、他の文化の人がファッションとしてそれを取り入れることが当てはまると思います。過去にはジャスティンがそれで批判を受けていましたし、KPOPでもよくそういうヘアスタイルが用いられているようです。アメリカ人の友人は「白人とかアジア人がコーンロウして歩いてたら、それはファッションとして褒められたり、かっこいいねってなるけど、黒人の人はいつもそれが原因で差別を受けてる。それに、一日だけその髪型をファッションとして取り入れてシャンプーするのと、何日もそのヘアスタイルをキープするのも全然違う。」と言っていました。確かに私がコーンロウにしてもらった時も、やってみなよって感覚でしてもらって、すぐにほどきました。でも世界には同じことを利便性のためにしているのに、その髪型によって苦労している人や差別されている人も沢山います。

二つ目の盗用は伝統的に意味のある文化を理解なしに使うことです。例えば着物をおかしな着こなしで紹介している海外の雑誌や、先住民の衣装を勝手に違う着方をするということです。これはさっき出したようなウユニ塩湖のアジア人女性の話も当てはまります。

これってもっと単純化したらどういうことなんだろうと考えてみました。この例が多くの人にとって分かりやすいかどうかという部分がありますが、私自身はこんな風に考えてみました。

後者に関してはそれほど難しくありません。例えばある人が50年かけて大切に作ってきた布があって、その布の使い方に関して製作者には細かい決まりがあるとします。この場合、いくら周りの人が「この布素敵だからもっと大量生産してバックにして売ろうよ」と、良いものを評価して広めるための善意で言ったとしても、本人が嫌なら強要されるべきではありませんよね。
 前者はちょっと難しいと思います。これはすごくファンタジーなたとえになってしまいますが、例えばある魔法のマントをつけていないと命が途絶える人がいるとします。そのマントは暑い日もつけていなければならないし、だれかにからかわれても外せと言われても外すわけにはいきません。でもある日急にマントが流行して、みんながそれを欲しがって、着けたい時に自由に着けて、ファッションとして楽しみ始めます。こうなったら、以前からかわれて辛い思いをしたその人は、自分のつけ続けてきたものが認められたって喜ぶ可能性もあるかもしれませんが、大きな確率で「自分はどんな時もこうしてないといけないのに、そういう苦労を理解もせずにファッションとして楽しむなんて」と思うかもしれません。命が途絶えるって大袈裟に思えるかもしれませんが、黒人差別で起こってるのって実際そういうことですよね。
 結局は、私がリスペクトしているから良いとか、歴史を理解しているから良いとか、そういう問題ではないということだと思います。当事者が嫌と感じるかどうかの問題です。もう一度最初に挙げた私の疑問点に戻ると、コロンビアで私の友人がやってくれたコーンロウは、相手が喜んでやってくれたので盗用ではないかもしれません。でも、もし私がSNSに投稿した写真を見て嫌な思いをした人がいるとしたら、それはおそらく盗用になります。先住民の衣装をかっこよく着こなしていたアジア人女性に関しては、実際にその衣装を作った人がどう感じるか次第だと思います。
 相手の気持ち次第だから、文化の盗用も定義があいまいなのかなと考えました。でも、「当事者のだれかが嫌な思いをしないか、悲しい思いをしないか。」という基準で考えれば、案外それほど理解するのは難しい問題ではないと思います。
私は出身の東北から東京に出た時に、震災の話を普段の会話みたいに軽々しく聞かれるのがすごく嫌でした。バイト先で知り合ったばかりの人たちに「東北かあ。震災大変だったね。大丈夫だった?」と、大丈夫という答えを期待して聞かれることにうんざりしていました。もちろん友人が震災のことを知りたいという姿勢で真剣に聞いてくれるのはすごく嬉しいです。相手が震災の知識があろうと、もし本気で心配して聞いていようと、嫌なものは嫌だったし、反対に相手に知識がなくても、心から知りたい思いさえ伝わってこれば嬉しかったなと思います。その感覚に少し似ているのかもしれません。リスペクトか盗用かという議論がなされるとき、多くの人が「その歴史を十分に理解しているかどうか」を問題にしますが、私はそれは違うと思います。文化をリスペクトしていようと、それを良いものとして広めたいって評価していようと、当事者で嫌だと思う人や違和感を持つ人がいるならその気持ちは尊重されるべきではないでしょうか。

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