所感

私は小学生の頃に、国語の教科書の音読を褒められた事をきっかけに演劇や放送に出会いました。
 友人も少なく、いじめを受け、母と父の不仲等、人間関係に疲れていたその頃、自分はなんのために生きていけばいいのかと悩みました。
 そして、小さい頃からアニメが好きだった事や、周囲からの勧めもあり、声優を目指す様になりました。

 自分で声優になりたいなどと触れ回った覚えもないのに、「立派な声優さんになってね」と卒業アルバムの寄せ書きのぺージにクラスメートに書かれたりした中学生時代。
 芸能界に入りたいと話したら両親に大激怒され、父にはそんな仕事!と、母にはお前には不相応だと言われたりもしました。

 それでも私にとって、友人より家族より、夢を追う事が大切でした。だからこそなんとか親を説得して、養成所に入ろうと試みたりもしました。勉強も今まで通り頑張るから、費用も積み立ててきた貯金でまかなって自分で払うから、と言っても、だめの一点張り。実の娘が、得体の知れない業界に行く事が心配だったのだな、と今は分かります。親の心子知らず、ここに極まれり、という状態の当時の私は、秘密で何度もオーディションに応募したりしていましたが(笑)

 それでもなお諦める様子のない私に、父は言いました。「将来の事を決めるのはちゃんと大学に入って20歳を超えてからにしなさい」と。
 その後、私が18になる年の夏、父は癌で亡くなってしまったのですが。
 父なんていなければ、私も早く夢に邁進出来るのに、そう思っていた私にバチが当たったのだな、と思いました。当時は、まさか、自分が成人する前に親を亡くすなんて思ってもいませんでした。それでも、受験生の夏は一回きり。時間は無情にも過ぎていきます。
 そこで私が思ったのは、人間は本当に死ぬんだな、と。それが明日か、一年後か、30年後かは分からないけれど。いつ死んでも不思議ではないんだな、と。もしかしたら明日バイト帰りに車に轢かれるかもしれません。人に刺されるかもしれません。実は大きな病気を持っていて、余命3ヶ月かもしれません。いつ死んでもいい様な人生を送りたいな、と思いました。私が生きてきた証をきちんと残して死にたいと思いました。そのために頑張ろうと。

 大学に無事入学した年、日本ナレーション演技研究所という、声優の養成所に入所しました。自分で積み立ててきたお小遣いやお年玉、アルバイト代で2年間、大学と平行で勉強しました。事務所に所属には至りませんでしたが、舞台演劇の様な稽古も多くあり、お芝居の難しさと楽しさを改めて知りました。
 その後私は大学4年時、父の死以外にも家庭の事情もあり、就職活動に取り組みました。その経験を通して、世の中にはたくさんの仕事がある事を実感出来たのは、私の人生にとって、とてもプラスになったのではないかな、と思います。ですが、私が今まで培ってきた事を投げ出せる様な仕事は見つかりませんでした。面接を受ける度、増す違和感。やらされているという意識、自分の意にそぐわない事をしているというストレス。

 何も出来なくなってしまった時、「このままニートになるくらいならもう一度頑張ってみたら?」と私の夢にずっと否定的だった母に言われました。
 ラストチャンスだと考え、青二プロダクション附属養成所青二塾を受け、大学卒業後、奇跡的に入塾し、卒業する事が出来ました。
 こちらでもやはり、所属には至りませんでしたが、素晴らしい恩師の方々や、ライバルの様な、仲間の様な友人達との時間は、私にたくさんの学びを与えてくれました。毎日怒られてばかりだったけれど、とても充実していた様に思います。

 いつも来てくださっているみなさんに、あまり私の事をお話出来ていないかなとは感じていて。今回こんなに長々と書いてしまいました。お付き合い下さり、ありがとうございます。
 ただ、それは私は私自身を知ってください、というよりも、私の配信を見て元気になってくれたらいいなぁ、と思っているからです。そして皆さんに、普段そのまま感じ取って頂いているものが、きっと私だと思っているから。
 また、私が何者かなんてどうでもよくって、来て頂いた皆さんに楽しんで頂いて、それがいい結果に繋がっていけばいいな、と思ったからです。また、それが表現者だとも思っているからです。ただ単に、私が変なところで恥ずかしがり屋なだけなのもあるのですが。
 ですが、何よりも私の目指す場所が頑張っているからなれるんじゃなくて、ふさわしいからなれる場所だと信じているからです。
 私は養成所で、プロの声優さん、声優志望の子を見てきただけでなく、バイト先でもアイドルの子、女優の子、たくさんの芸能を志すお友達に出会いました。頑張っていない子はいません。でも才能のある子、圧倒的にビジュアルのいい子、オーラのある子、コミュニケーション能力のずば抜けている子等、やはり何かが抜きん出ている子が稀にいて。それだけたくさんの子と会っていれば嫌でも分かってきます。ミクチャ内でもそれを感じる事はたまにあります。
 ただ、自分にそれを置き換えて考えてみても、自信のなさや、逆にこれまでの経験から来る自負等、客観的な判断をしかねるため、なかなかこれまで諦めもつかなければ、根拠のない自信を持つことも難しかった、というのはあるかもしれません。

 私は頑張っているから私を応援して、とはあまり言いたくないです。(それはこのミクチャというツールの根本を否定する事になるのかもしれないけれど)だって、頑張らないで生きてる人間なんていないから。
 上記でも申し上げた様に、私には芸能人の卵みたいなお友達がたくさんいます。神様に愛されたみたいに可愛らしい子や、才能のある子が必死に努力して、なお夢を諦めていく姿も何度も見てきました。だから軽々しく私は頑張っている、なんて言いたくないです。でもこれから頑張っていこうとは常に思いながら、生きています。生きていきたいです。
 誰かを応援する事なんて、結局は個々の趣味趣向でしかないと思います。だけど、もしも、私の配信で楽しんで下さっている方が少しでもいるなら、もっと頑張っていきたいなとも思います。

 ここまで読まれた方はなんとなく私の歳も推測出来るかな、と思うので申し上げますが(笑)

 配信内で年齢を聞かれる度、特に面白い話でもないし、ネタにもならない(されても困るけど)ため、冗談めかして誤魔化していましたが(笑)(本気で身バレもこわいのもありますが(笑))
 私は昨年で25歳になりました。そして、それを目処に、10年以上志してきた、芸能の道を諦めようと思っていました。ただ、ちょうどコロナ渦という事もあり、オーディション自体の数の減少や、就職活動をするにあたっての、求人の減少もあり、方向転換をするにはまだ早いかも、と考えるに至りました。ただ、私はこれまでたくさんの年月とお金を費やして、夢を追ってきました。周りはきちんと就職して、経験を積んで仕事で成果を上げたり、結婚したり。私は自分の人生に胸を張れるだろうか、と不安になりました。お芝居や、歌の稽古、今はピアノのレッスンもしていますが、練習を辛いと思った事はありません。出来ない自分に悔しさを覚える事はあっても、出来ない事が、自分の好きな事が出来る様になっていく事は、いつも私に充実感を与えてくれます。
 それでも、呆れた様子の母や、刻々と流れていく時間等に私も不安を覚えないわけではありません。それでもやっぱりお芝居と歌を好き。そして、それを仕事にしたいと思う自分。
 期限を決めるのは、やはり大事だと思い、この2021年中にきちんと自分の納得しうる結果を出す事が出来れば、このまま邁進していきたいと思いました。今年はその第一歩として年明け早々、この美少女図鑑AWARD2021というオーディションに参加するために、ミクチャで配信を始めました。配信アプリには抵抗があったため、それを用いたオーディションは、これまで受けた事がありませんでした。
 新たな挑戦にまだドキドキヒヤヒヤな毎日。それでも私なりに楽しみながら出来ているのではないかな、と思います。
 
 忙しい中、毎日私の配信に足を運んでくださるファンの方には足を向けて寝られません。至らないところばかりの私ですが、これからもどうか宜しくお願いします(´;ω;`)

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