オックスフォード留学三年半の振り返り(序)
目次
序(本編)
1. 恵まれていた/運がよかったこと
2. 恵まれていなかったこと/つらかったこと
本題(次回以降)
3. もっと早くやれば/知っておけばよかったこと
4. やってよかったこと
5. やらなかったけど一応今のところ納得していること
6. やってこなかったけど今後努力したいこと
1. 恵まれていた/運がよかったこと
-留学奨学金をもらえた。
ほんとうにほんとうにありがとうございます。
-英会話ができた。外国での一人暮らしに慣れていた。
学部時代に米国に交換留学して培った能力と適性。
-研究に必要な外国語に一通り親しんでいた。
堪能とは決して言えないが、研究に必要な現代語と古典語を一通りは修めていた。オックスフォードは学部と修士がそれぞれ3年と1年しかないので、特に近世英国史分野の博士課程で外国語ができる人は実はあまりいない。標準はラテン語とフランス語がちょっと読めるくらい。
近年さまざまな翻訳技術が発達しているが、自分で調査と判断ができるリテラシーは必要だと思う。私の分野では近世ラテン語、古典・聖書ギリシャ語、ヘブライ語を手稿史料で認知できることも必要。
-手稿資料が読めた。
The National Archivesのオンライン講座と練習問題をやってから、(自分の研究には必ずしも関係ない)大英図書館の手稿史料に当たってみていた。
https://www.nationalarchives.gov.uk/palaeography/
この地盤のおかげでオックスフォード到着早々、ほぼ誰も読んだことのない手稿史料を読みまくったことが今の博論の肝心な入口となった。
-気の合う指導教官に出会えた。
こちらの指導教官とは留学する一年以上前に一度会ったことがあり、正直最初から馬が合うわけではなかったが、お互いすり合わせを重ねて、1年目以降からは適度な距離感とお互いの長所がつかめてきた気がする。研究上のマッチングがこの上なくよかったことに加え、とにかく返事や事務作業が早く、必要なときはすぐ会ってくれるのがありがたい。
運の要素や個人的な相性の部分が大きいので普遍的な対策はないが、人文系博士留学において指導教官は本当に本当に大事なので、選択肢があればいろんなルートから評判を聞いてみて、少なくともinformed choiceをすると不幸の度合いを減らせるかなと思う。私は日本にいらしていた英国の先生方や、英国の学会で知り会った大学院生たちと面識を作って(もちろん他の話題と混ぜてだが)聞いてみた。
-日本の指導教官とそのゼミのコミュニティが最高だった。留学先に学部時代の友人たちがいた。
いつも恩寵のような関係性をありがとうございます。
2. 恵まれていなかったこと/つらかったこと
-コロナ、ロックダウン。
図書館も文書館も自由にいけない期間があったのはきつかった。
-留学中に、長年燻っていた家族の問題が爆発した。
この理由もあって日本にはあまり帰っていない。
-非白人・非ネイティブ・女性に向けられる有象無象の差別。
オックスフォードは、大学と街全体としては多様で開かれた場所だとは思うが、私の専門分野は白人ネイティブが99.9%で、今でもこの環境が重くのしかかってくることはある。英会話ができるとはいえ、ネイティブレベルではないし、母語の韓国語でさえ緊張すると出てこないのにいわんや英語をや。
また、私の専門分野に限らずとも、学生側のバックグラウンドはかなり多様だが教員側の非白人の割合は相当低い。世代交代や構造的問題の緩和のためにはまだ時間が必要と感じる。
大学の外では、オックスフォード到着まもなく、見ず知らずの白人おじさんに道端で突然怒鳴られたことに相当心理的傷を負った。それ以降も、これまで4回ほど似たようなことが発生した。最近は無視するくらい余裕が出てきたが、到着後いろんな不安に見舞われているときにはかなりしんどかった。これまでの人生、おそらく母親にしか怒鳴られたことのない平穏な人生だったのに、オックスフォードの街中でこんなことをされるとはゆめゆめ思ってなかったことも、深いショックの一因だったと思う。
白人おじさんからの怒鳴りではないが、なんというか「これって私が非白人の女性だから言ってくるんでしょ?」と思ってしまうような注意をされることが多々あり、最近はこっちの方に心がすり減ってしまう。外国人で女性だったけれども、日本ではなんだかんだ地方の名門校と東大にあやかって「マジョリティ」として楽に生きてきた裏返しなのだろう。
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