オックスフォード留学三年半の振り返り①

目次

1. 恵まれていた/運がよかったこと
2. 恵まれていなかったこと/つらかったこと
 
本題
3. もっと早くやれば/知っておけばよかったこと(本編)
4. やってよかったこと(次回以降)
5. やらなかったけど一応今のところ納得していること
6. やってこなかったけど今後努力したいこと


3. もっと早くやれば/知っておけばよかったこと
 
-勉強や史料読解の成果をすぐ文章化しておくこと。文章化までが研究。
 私がオックスフォードに来たとき一番足りていなかったのは書く習慣であった。日本では卒業論文と修士論文がなんとかなったので自分のスタイルを大きく変える気はなかったのだが、少なくともこちらの指導教員の方針はそうではなかった。オックスフォードに到着してからの半年間はこちらの指導教官と2-3週間に一度面談をしたのだが、毎回5000語ほど、ともかく何か自分の分析を書いてくるように求められた。最初のうちは、もっと調べて/読んで/考えてから「ちゃんと」書きたい、と思ったものだが、すぐアウトプットする習慣をつけられたことが私にとっての近年一番の収穫だと思う。何かたたき台があれば指導教官や同僚もコメントしやすいし、書き始めないと深まらない思考もあると気づいた。何より、2年ほど経った頃からは、手直しをすればなんとかなる博士論文の原稿があることが大きな安心感を与えてくれた。
 私は文字通り毎日書くわけではなく、史料読解や文献調査だけをやる週というのもあるが、アウトプットのサイクルが早くなってからは自分の研究の焦点がブレることが少なくなったと思う。博論の内容がそこまで固まってない段階で5000語を埋めるためには、読んだ史料や文献と自分の計画を不断に照らし合わせなければならず、より選択的で効率的な読み方が身についた。
 今では、人文系にとっての書く行為は、他の分野での実験やコーディングに匹敵する、研究の肝だと思うに至っている。研究のアイデアが浮かんだらまず書き出してみないとうまくいくのかどうかわからない。書き出して、悩んで、書き直して、ということでしか人文系の研究は進めようがないと思っている。
 
-周りの学生は自分とそんなに変わらない。
 前回の記事で書いた通り、私の分野の研究者のほとんどは白人の英語母語話者である。しかもオックスフォード近世英国史の博士課程で、オックスフォードもしくはケンブリッジで学部and/or修士をやってない人は皆無と言ってもよい。私は一般に、自分に自信がないタイプでは決してないし、オックスフォードに来てから鬱になったとかめげたとかはないのだが、それでもやはり長い間、上記のような環境でなんとなく自分が周りより劣っていると思っていた。指導教官が手を焼くのは私だけだと思っていた。今でも正直、学会やセミナー前後の社交の場では、みんな私以外でもっとしゃべりたい人いるよね??とうっすら思ってはいる。
 しかしこちらで年次が上がり、原稿を共有する仲間ができたり学生を教える立場になったりすると、自分の原稿がそこまで悪いわけでないと気づいた。指導教官は指導学生全員に対して全く同じ密度の指導とつっこみをしていることがわかった。中間審査では私が決して遅れをとっているわけではなく、博論だけに限ればむしろ進捗は同じ代の博士課程生のなかでは順調なほうであることがわかった。ここに来ても社交が苦手なのは私の性格の特性ゆえであり、居場所がないからというわけではないこともわかった。
 前の項目と見かけ上矛盾するが、私にとってこちらで博士論文を書くことの8割は自分の自信の問題であった。指導教官はいつも私の原稿を面白いと言いながらいろんな人を紹介してくれたけど、私がそれをお世辞でないと信じるまでにはとても長い時間がかかった。今になってこそ言えることではあるけれど、三年半前の自分に、もっと自信を持ってのびのびオックスフォード生活をしてほしいと言いたい。
 最近は自信溢れすぎて、留学2年目くらいに時々会っていたポスドクの人に久々に会ったとき、「その自信を大事にしてほしい。俺もそれくらいの自信を持って博論を書いていたら断然良いものになっていたと思う。」と言われた。
 
-研究者でも(だからこそ)「営業」が大事であること。
 以前は研究という営みを、自分の関心を深掘りしてその成果を発表することだと思っていた。この認識が間違っているわけではないが、博士課程後半になってみると、思ったより研究は文脈依存性が高く、ステージが上がるほど想定オーディエンスに向けた書き口の精度を高める必要があるし、自分の興味関心だけでは回らない。こちらではそもそも、研究発表でもお題が決まっていることが多く、相当な大物でもない限り「自由論題」というのはあまりない。こちらの指導教官も、私の発表や博論指導に際してオーディエンスの想定や伝え方について何度も強調してくるので、本人も強く意識しているのだと思う。
 自分の関心をとにかく探求したい傾向が強い私にとってこうした「営業」や「アピール」は当初、やや煙たいものであった。それゆえ、お題が決まっているこちらの学会であまり積極的に研究発表をすることなく博論提出に至りそうである。自分にとって本質的な研究が固まっているという点は強みであるが、自分の研究をいろんな角度から見る機会を活用して、隣接分野の人と交流する能力を早くから意識しなかったことは惜しい。日本の文脈だと様々な助成金の応募書類を書くことが大学院生にとって程よい頭のトレーニングになる気がする。
 関連して、パフォーマンスとしての研究発表をすることの重要性も意識するようになった。以前は、研究発表でなんかいいコメントもらえればいいやくらいに思っていたが、最近は演技でもいいからとにかく聞き手を飽きさせないような振る舞いやプレゼンが大事だと痛感している。修士や博士始めならまだしも、それ以降になって、わざわざ超多忙な人様の時間をいただいているのに、言い訳から始まって、発表者本人すら面白く思ってなさそうな、まとまりのない話をするのは御免である。特にこちらでは、前後の社交の糧になるようなプレゼンと人柄を披露することが非常に重要であると感じる。
 
-雑誌論文と博論/書籍の関係
 私はなんとなく、博論がそこそこうまくいけば、こちらで定評のある雑誌に、博論の内容で論文を2本出せるといいなと思っていた。しかし少なくとも英語圏の私の分野では、既刊論文を博論/書籍として出すことに非常に厳しく、論文1本が限界らしい。ちなみに博論を書籍化しないなら、提出後個別の雑誌論文にバラすことは可能というか薦められている。
 たった10年前でも、博士課程のうちに論文を出す人は稀だったのに、近年は博士課程中でも2本以上論文がある人も稀ではない情勢になってきて、上記の規定が緩くなっているのかなと思ったら決してそうではなかった。みなさん修論やスピンオフで頑張っているらしい。
 私はともかく博論が最優先で、博論がうまくいっていないのに雑誌論文を書くつもりはなかったので、この出版周りの話を事前に知っていても結果何も変わらなかったかもしれないが、もっと意識的にスピンオフネタを貯めておけたかなという心残りはある。あとは私の場合、指導教官に出版周りの話をちゃんと聞いたのが留学3年目の終わりだったが、留学早々、「俺は母国で就職するためにはとにかく英語論文2本が必要だ」とご本人の指導教官に伝えた韓国出身の先生の話を聞いたことがあり、どうしても論文業績が必要なら指導教官になるべく早く伝えて出版事情を把握しておくことが大事だと思う。

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