博士論文の口頭審査

 先日博論審査があり、無事通過して博士号を取得した。オックスフォードでの近世英国史博士論文審査というニッチな主題なのであまり需要はないと思うが、自分の記憶の整理のためにも、審査とそれを取り巻く状況についてここに書き残しておく。オックスフォードの博論審査の基本的な概要についてはいつもながら向山くんのブログがすばらしいのでそちらを見ていただきたい。https://penguinist-efendi.hatenablog.com/entry/2021/03/25/205718
 
 
0. 博論提出
 
 審査をされるためには当然博論を提出しなければならない。私はいただいている奨学金が2024年3月で切れることと、2024年4月始まりの日本のファンディング獲得が最もありうるシナリオであることを踏まえ、1月末の審査を見据えて提出時期を逆算した。日本のファンディング/ポストは3月末までの博士号取得が必須条件であることが多いので、1月末までに審査をすれはminor corrections (1ヶ月以内の修正)になっても十分間に合うという算段であった。
 1月末までに審査をするためには、いろんな要素によるとは思うが私の分野では提出から審査まで3ヶ月空けるのが一般的なので、10月頃に提出が必要だということになる。というわけで、2023年10月の提出を目指して博論をまとめ始めた。タイムラインは以下の通りである。
 
2023年2月20日 博論最終章原稿完成(私の博論は全8章構成である)
2023年3月初旬〜 全体の書き直し、構成の練り直し
2023年6月26日 博論前半(つまり4章分)ver. 1完成
2023年8月4日  博論後半ver. 1完成=博論第一稿
2023年11月25日 博論第二稿
2023年12月1日  提出
 
 タイムラインから明らかなように、結局10月には提出しなかった。7月末から10月までの間、日本と英国のポジションに応募し、面接をこなすのにだいぶ時間を取られたのが一つの理由ではあるが、8月頭の段階で悪くない第一稿はあったので、無理やり提出することは不可能ではなかった。しかしここで、提出日が多少遅くなる点について審査員の了解をもらってでも私の博論のクオリティを上げる作戦を指導教官が取った。夏辺りから、「博論がオックスフォード大学出版局に推薦されたら〜」という話を指導教官がそこはかとなくするようになり、優秀博論に選ばれるのはごくごくごくごく稀であること(私の分野では5年に一本とか、、、)を承知で、それでも博論の段階で完成度を高めて良い審査評を得るのが長期的によいだろうという気持ちに私もなっていく。そう思って全力で第一稿の修正に取り組み、第二稿で格段に完成度を高めることができ、たとえ大学出版局に推薦されないとしても自分が誇りを持てる博論になった。
 ちなみに審査員の選択は指導教官の勧めにほぼ従った。内部審査員が誰になるかは(自然法という専門から)明らかだったが、外部はもう少し選択の余地があった。たしか6月頃に、外部を誰にするかについて指導教官と話したのだが、私が考えていた人を伝えたところ、「んーでもそれだと内部も外部も思想史になっちゃうから、宗教史の人を入れるのはどう?」と言われて提案された人がなんと宗教史の超大御所で、博論審査員として大人気の先生だった。ある程度いい博論じゃないとこの人を呼べない/呼ばないこともわかっていたので、この提案でかなり気が引き締まった。
 
 
1. 審査日の調整
 
 だいたいの審査日については事前に了解があるものの、具体的に決まるのは博論のデータがオンラインシステムにアップロードされ、それが審査員の手に渡った時点から1ヶ月以内である。私の場合、諸々の事情により、12月1日に提出したにもかかわらず12月15日になってやっと手続きが始まったので、これは審査員たちがみっちり300ページの博論を読んで考える時間的余裕という観点から1月末の審査はちょっと難しいだろうなと感じた。でもこの時点で、翌年4月始まりで博士号必須の職が決まっていたので、審査が遅れるのは怖い。そんな不安のなか年越しをし、1月9日になってやっと審査が2月28日になったという連絡を内部審査員からもらう。
 3月中の学位取得を目指して2月末の審査という日程は日本からすると全く普通だと思うが、イギリスの事務の遅さなどの理由で、これは日本での就職が危ぶまれると思ったので内部審査員と指導教官に泣きつき、A. 何がなんでも2月28日に審査をすること(2023年2月にはさまざまなストライキによっていくつか審査が延期された例がある)とB. 修正指示は審査日当日に渡してもらって(修正指示は通常後日送られてくるらしい)、修正後には最速で事務手続きをしてもらうこと、という確約をしてもらった。イギリスでは博士論文を提出していれば大抵の就職に問題はないので、博士号取得必須という文化がかなり不思議に映ったと思うが、歴史学部の事務を巻き込んで全力で協力してくれた内部審査員と特に指導教官には頭が上がらない。

 
2. 審査当日

 幸い今年はそこまでストライキはなく平穏な2月が過ぎ、外部審査員も無事オックスフォードに到着して審査日を迎えることができた。まず審査が予定通り行われそうだという事実に安堵し、博論の内容も自信があり、指導教官が「審査での議論、絶対楽しめると思うよ。たくさん褒めてもらってきな。」と何回も言ってきたので、審査の数日前まではどちらかというと楽しみだったのだが、いざ近づくと試験一般に対する緊張感が久々に高まった。博論審査も一応「試験examination」の一種なのだが、こういう試験を最後に受けたのは太古の昔のTOEFLでなかろうか、、、。
 審査直前に内部審査員から、こういうのを聞かれるよーという博論審査の手引きのようなものを渡されて、それを読んでみると、口頭審査の目的はA. 当該候補者が本当にこの博論を書いたのかの確認、B. 候補者による文中の不明点の説明、および主張のディフェンド、C. 候補者の専門知識一般の確認、らしい。私の内部審査員はたぶんルールに従うのが好きなので、審査中もこれらを言及しながら話を進めていた。
 審査会場の部屋に着くと、私が来るずっと前から審査員二人で話してたんだな、ということが直感的にわかるテーブルが広がっていた。場所はオックスフォードのカレッジの中でとても温かみのある、私が好きなカレッジの一つで、部屋も素敵だったので多少リラックスすることができたし、審査員たちも「君と意見衝突をするのが目的ではないから」と言ってフレンドリーに接してきた。
 私の分野の博論審査では一般的らしいが、最初に聞かれたことは「どうしてこの研究をすることになったのか」という、自伝的な話である。非白人非英語ネイティブで近世英国史やっていると3日に一回くらい聞かれる質問で自分の中でストーリーができているので、それを簡潔に話したら思ったより納得してもらえた。内部審査員的には、一応この質問によって、「この博論を本当にこの候補者が書いていること」を確認しているらしい。
 それ以降はより具体的な内容の話になってきて、もうちょっと細かくて厳しい質問が来るのかと思ったら、博論としてはいいんだけど本にするには、という流れで話が進んだ。私は博論で、イングランドにおけるグロティウス受容において1650年代がいかに重要であったか、という話をしているのだが、1650年代に力点を置きすぎているように見えるらしい。審査員たちの提案は、1650年代に実を結んだ知的革命の芽が実は1630年代あたりからあったという話をすることで、もう少し円熟したストーリーの本にできるのではないかというものだった。この提案はめちゃくちゃ妥当だけど、それを言うためにはもっと調べないといけないですね、、、と(根がまじめな)私は何度か漏らしてしまったが、そのたび審査員たちが「いやいや、要素は全部博論の中にすでにあって、フレーミングの問題だから」とフォローしてくれる優しい会になっていた。
 審査に出向く際には印刷した博論を一部持参することを求められたので、20ポンドくらいかけて大学図書館で300ページ片面印刷をしたものを審査中テーブルの上に置いていたものの、実際には一度も開かなかった。火事場の馬鹿力とでも言わんばかりに、これ絶対思い出せないだろうなと思っていた固有名詞や史料の細部がすべてすらすら出てきて、自分でも驚いたし、(あとで指導教官から聞いたところ)審査員たちも感心したらしい。
 審査は2時間ほど続いた、というか審査日がオックスフォードで忙しい時期だったので、もっと続いてもよさそうだったけど内部審査員が2時間で終わらせたがっていた。質疑を終えたあと、隣のコーヒールームで数分一人にさせられ(この部屋はさらに素敵でテンションが上がり、うまい具合に気が紛れた)、また呼び出されて審査通過と大学出版局経由の出版機会を伝えられた。
 高い評価はもらえたものの、事前に内部審査員が仄めかした通り、minor correctionsではあり、手続きに影響がないよう、審査翌日の朝までにタイポや英語の表現の微調整を行うように指示された。これくらいのタイポや表現の問題をminor correctionsにするかは正直審査員次第な気がして、指導教官も(major correctionsでなければ)博論の評価と修正要求はあんまり関係ないと言っていた。
 
 
3. 審査後
 
 修正要求に応えて内部審査員に見せたバージョンが受理されると事務の方からleave to supplicateという、オックスフォードの修了確定書みたいなものと審査評などが添付されたメールが届く。これがいつ来るかは本当に事務次第らしいのだが、今回は私が急いでいるということで(にもかかわらず、、、??)3営業日以内に来た。そして1日後、学位授与式の予約ができるよーという連絡が別に来た。オックスフォードでは年間16日ほどの指定日に学位授与式があり、これに行くか、無人in absentia式をすればたぶん無料で学位証明書が一枚もらえるのだが、タイミングが合わないと15ポンド出して発行してもらうしかないらしい。
 
 
4. 雑感
 
 こんなことを書くと順調に老害になっていくという自覚はあるが、非白人非英語ネイティブ非オックスブリッジ卒業生のマイノリティとして、近世英国史という分野で博論を4年強書いたのは、とても負荷のかかる経験だった。白人イギリス人男性でも、オックスブリッジ卒でなければとてつもない疎外感を感じるらしいのがオックス近世英国史の世界である。そんな中で地道によく頑張ったなと思うし、自分が自分を信じられる前から私を信じてくれた友人たちと指導教官、そして支援財団に深く感謝している。私のバックグラウンドで私を(今でも)相手にしない人もいれば、私が最初降り立ったときから無条件に、対等な研究者として扱ってくれる人もいた。人生、前者はどうせ何やっても変わらないので後者を大事にすべきだし、この4年半の間、後者が誰なのかはっきりわかったのはよかったのかもしれない。
 

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