政治思想史と宗教

 近世西ヨーロッパの政治思想を語る際に人口に膾炙しているナラティブとして、壊滅的な宗教戦争の反省から「世俗的」な国家や権力の概念が生まれ、「近代」国家の礎が築かれた、というものがある。日本語の政治思想史の教科書もだいたいこのナラティブを用いている。この語りはわかりやすく出発点として有用であるため、いますぐ何か別のものに置き換えられるべきだ、という主張をするつもりはない。しかし2000年代以降、学術界における政治思想史と宗教の関係、そして近代の認識はかなり変わっているため、16-17世紀研究、そして英語圏の近著に限るが手短に紹介してみたい。
 
 
1. フランス宗教戦争と「近代」国家
 
 16世紀後半、40年に渡りフランス全土を震撼させた宗教戦争(1562-1598)の最中、ジャン・ボダンが『国家論』(1576)において宗教的権威に依拠しない「絶対主義国家」の概念を生み出し、これが近代国家の思想に繋がった。これが政治思想史の教科書におけるスタンダードな理解である。この理解をおそらく最も明晰にかつ影響力のある形で広めたのがクエンティン・スキナーのThe Foundations of Modern Political Thought (1978)の第二巻である。第二巻の最後に、スキナーはボダンにおける国家the state概念が「純粋に世俗的な目的のために権力を行使するよう仕向けられた、純粋に世俗的な権力」だとして、ここに「近代」国家概念の発端を見出す。
 同書を通じてスキナーが広めたもう一つの主張は、抵抗権論から生まれた権利や政治権力の発想には宗派の違いがないということである。スキナーによれば、対抗宗教改革の文脈で現れたプロテスタント抵抗権論と、フランス宗教戦争で利用されたカトリック抵抗権論には本質的に差がなく、プロテスタント・カトリック両陣営は似たような自然法の概念に基づいて人民主権や抵抗権を唱えた。政治的主張において宗派の違いがなく、宗教が有意な差異を生み出していないという意味で、16世紀政治思想の議論に「世俗的」で「近代的」な政治思想の誕生を見出すことができるというわけである。
 
 The Foundations of Modern Political Thoughtは半世紀に渡ってさまざまに批判されてきたが、最も注目すべきアンチテーゼはサラ・モーティマーの近著、Reformation, Resistance, and Reason of State (1517-1625) (2021)に見ることができる。本書においてモーティマーは、宗教権力および宗教共同体をめぐる議論の文脈を十分に踏まえることによってのみ、16世紀政治思想史の全体像とその人間社会に対する含意を理解することができると主張している。よってボダンの主権論は世俗権力がどこまで宗教的な事柄に関与できるか、国家における教会の役割は何かといった話の文脈で理解されるべきであり、そうすることによって、ボダンは脱宗教的な近代世俗国家を描いたのではなく、特定の宗教観・教会観に支えられた権力論を打ち出したということがわかる。
 モーティマーはまた、同書においてスキナーの抵抗権論理解を大幅に刷新した。モーティマーによれば、カトリック陣営とプロテスタント陣営は根本的に異なる自然法概念に依拠しており、したがって両陣営の抵抗権論とそこから導かれる権利や人間共同体の発想もまるで違う。両陣営の自然法概念の違いを理解するためにはまず、近世自然法の議論の多くの部分が自然法と神の法divine lawとの関係をめぐって行われたことに着目する必要がある。ここで詳しくは踏み込まないが、要するに両陣営における自然法と神の法の関係は、両者の神学的な違いゆえに決定的に異なる。カトリック陣営では、神の法とは一旦切り離された自然法固有の領域、つまり純粋な人間政治があるとされたが、他方プロテスタント陣営では、自然法が神の法と緊密に結びついており、神の法、つまりキリスト教的義務と切り離された人間政治の領域は存在しないものとされた。
 この自然法理解を抵抗権論に当てはめると、カトリック陣営は人間共同体の権利と権威そのものを主張したのに対し、プロテスタント陣営は宗教的義務に基づいた抵抗の義務を説いたということになる。なお、ここで注意すべきは、純粋な人間政治の領域を構想したカトリック陣営でさえも「世俗的」な政治思想史を提示したわけではない。カトリック陣営が純粋な人間政治の領域を打ち出したのは何かしらの意味で宗教から離れたからではなく、カトリック自然法観によれば人間政治を正しく、自然法に則って行うことが最終的には神の法の下の義務を満たすことにもなり、果てには救済につながると考えたからである。
 
 モーティマーと非常に近いアプローチでフランス宗教戦争の政治思想史をより綿密に分析した成果がソフィー・ニコルズのPolitical Thought in the French Wars of Religion (2021)である。ニコルズはプロテスタント君主の即位に徹底して反対したカトリック同盟の思想に焦点をあて、その再評価を試みている。モーティマーと同様ニコルズも、抵抗権論においては宗派の違いが関係ないというスキナーのテーゼを批判している。さらにニコルズは、カトリック同盟の抵抗権論を同じカトリック圏のサラマンカ学派の抵抗権論と同一視することへの注意を促しており、ガリカニズムの文脈による特質も分析している。本書においてニコルズは意識的に国家the stateの代わりにコモンウェルスcommonwealthという単語を主な分析概念として用いており、これはスキナー流の「近代」国家the modern stateの淵源を求めるアプローチを排し、教会を含むさまざまな権力主体が織りなす人間共同体を総合的に捉えるという試みによるものである。
 
 
2. イングランド革命と「近代」政治思想
 
 ボダンの『国家論』に次いで「近代」政治思想の担い手として言及されるのがトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(1651)である。『国家論』同様、『リヴァイアサン』も長らく、宗教的権威に依拠しない主権者を論じたという点で近代的政治思想のメルクマールとされてきた。しかしボダンについて先述したように、宗教的権威に依拠しない国家論・主権論が「世俗的」だったとは限らず、こうした議論は反宗教的もしくは脱宗教的というよりはむしろ特定の教会・宗教観に基づいていると見なされるべきであるというのが近年の一般的認識である。
 『リヴァイアサン』の宗教的文脈や教会論については少なくとも1960年代から緻密な分析があったが、それらを政治思想史に有効に接続したのはジェフリー・コリンズのThe Allegiance of Thomas Hobbes (2005)である。本書ではホッブズの思想を、紀元後4世紀のローマ帝国でキリスト教が公認されたときから始まった国家と教会の緊張関係に位置付けている。この前提のもと、コリンズは『リヴァイアサン』の思想がイングランド革命期の独立派(オリヴァー・クロムウェルが属したグループ)の国家・教会観に酷似していることを指摘した。コリンズによれば、独立派は世俗為政者(つまり叙階された聖職者ではない人)が宗教的事項を管轄する正当性を主張した集団であり、これはホッブズの主張のエッセンスに通じるところがある。
 コリンズの本はタイトルにも表れている通り、表面上、ホッブズが内戦期にどの党派を支持したかという論争に参戦し、ホッブズは独立派だったという、(彼の指導教官である)リチャード・タックの主張を焼き直しているかのように見える。しかし本書と、本書に関連する一連の論文を通して、コリンズはホッブズ研究の次元をはるかに超えてイングランド革命期の政治思想史そのものを大きく塗り替えた。コリンズが独立派および革命期の諸宗派の思想を国家・教会論の観点から分析したことによって、イングランド革命期の宗教論争が狂信的議論や宗教内在的議論ではなく、世俗権力と宗教権力の本質と両者の関係を真剣に考察した、立派な政治思想であることが明らかになった。The Allegiance of Thomas Hobbes以降、17世紀政治思想史における教会論の立ち位置が確立したといっても過言ではない。
 
 コリンズに近似した視点で、世俗権力と宗教権力のせめぎ合いをテーマに王政復古期の政治思想史を分析した成果がジャクリン・ローズのGodly Kingship in Restoration England: The Politics of Royal Supremacy, 1660-1688 (2011)である。ローズはコリンズと違って、コンスタンティヌス帝の改宗というよりはイングランド宗教改革を、イングランドにおける世俗権力と宗教権力の争いの原点と見做しているが、それでもなお、基本的なモチーフは同じである。ローズはこれまで、世俗政治もしくは法学の観点からのみ理解されてきた、王政復古期のさまざまな論争にいかに宗教と教会をめぐる論点が関わっていたかを鮮やかに描いており、同時期のホッブズやジョン・ロックの思想も世俗政治という発想のみでは理解しきれないことを示している。(このような問題関心でロックを中心に据えて分析したのが2020年に出版された、コリンズのIn the Shadow of Leviathan: John Locke and the Politics of Conscienceである。)
 
 Godly Kingship in Restoration Englandは近年の英国思想史における二つの重要な流れを汲み、さらに強化しているように思われる。一つは「長い宗教改革the Long Reformation」への関心の高まりであり、もう一つはこの次のセクションで述べる、啓蒙と宗教の関係を再考する動きである。「長い宗教改革」は宗教改革を16世紀前半に始まり同世紀後半には終わった運動ではなく、続く数世紀に渡って絶えることなく改革の言説と行動を促した超長期の試みとして理解する。タイトルでの初出はおそらくニコラス・タイアックのEngland’s Long Reformation (1998)であるが、この当時は狭い意味での宗教史だけに関わる用語であった。今では思想史、文学史、政治史、社会史などの分野でも用いられている概念である。
 この「長い宗教改革」という概念が近年受け入れられているのは、「世俗化された近代」という観念が特に9.11やイスラム国の台頭以降薄くなっているからではないかと推察する。アメリカ合衆国で主に活動している近世ヨーロッパ史家の著作により顕著であるが、近世と近現代の間に断絶よりは連続性を見出す傾向が、2000年代が進むにつれて強くなっている。この傾向を反映した著作の好例は、イーサン・シェイガンのThe Birth of Modern Belief: Faith and Judgement from the Middle Ages to the Enlightenment (2018)とブラッド・グレゴリーのThe Unintended Reformation: How Religious Revolution Secularized Society (2015)である。シェイガンとグレゴリーは近現代社会の重要な特徴、たとえば個人主義や多元主義の淵源を、一元的な道徳・宗教規範が失われた宗教改革に見出している。
 なお「長い宗教改革」という概念を導入することで近現代にも続く宗教の重要性に焦点を当てたはいいものの、一周回って宗教改革が近現代の始まりという、「近世」という言葉が本格的に市民権を得る前の世界に戻った感もあり、「近世」とは何だったのか、という問いにどう答えるのか、という疑問は残る。
 
 
 この「近代化」や「世俗化」離れは英国史周り特有で、たとえばドイツ史では若干事情が異なる可能性もある。ロバート・フォン・フリーデブルクのLuther’s Legacy: The Thirty Years War and the Modern Notion of ‘State’ in the Empire, 1530s to 1790s (2016)では「近代国家」概念の誕生という方向性が明確に維持されている。フォン・フリーデブルクは「近代国家」を君主個人の人格とは切り離された法人格的なものとして理解し、この発想が三十年戦争中に、領邦君主たち個人への信頼が失われるなかで一般化したと主張する。フォン・フリーデブルクにとっても16世紀初頭の宗教改革は重要な要素であるが、英国史界隈とは違って17世紀を「長い宗教改革」の一部とは規定しない。代わりに、同世紀には宗教的言説が政治的言説に置き換わっていき、共通の敵は「異端」ではなく「暴政」になり、宗教的善ではなく政治的善を求める国家体制が構想されるようになる、というのである。なお著者はこれがドイツに限った現象であり、本書で前提とされている「近代国家」概念もドイツ的であると念を押す。
 フォン・フリーデブルクの主張は、ピーター・ウィルソン以降の「世俗化された」三十年戦争理解に沿っているとも言える。イングランド革命を宗教戦争とみなしてきた80年代以降の英国史の潮流とは真逆に、三十年戦争はいわゆる宗教戦争ではないという理解が英語圏のドイツ史領域では広まっているようである。ウィルソンによれば、宗教では三十年戦争をほとんど説明することができないため、政治的闘争として理解する必要がある。
 
 
3. 宗教戦争後の啓蒙と宗教
 
 このセクションはやや私の専門から離れていて具体的な文献レベルでのレビューは難しいので、これまで述べてきた16-17世紀研究の流れがどのように現在の啓蒙期の政治思想史研究と関係するかに焦点を絞って短くまとめる。参照した主な文献はジョナサン・シーハン、ブライアン・ヤング、ジョン・ポーコック、ジョン・ロバートソン、コリン・キッドの著作である。
 先のセクションで述べた通り、2000年代の17世紀政治思想史研究において(広義の)教会論が重要な部分を占めるようにつれ、これまで世俗的政治思想家として見られてきた人々は宗教全般を否定したのではなく、既成宗教の特定の側面に異議を唱えたという理解が歴史家の間で広まった。問題は狂信や教権主義(聖職者の統治)であり、宗教そのものは人間社会にとって不可欠のものなのである。狂信や教権主義といった宗教のネガティブな面の根底には、少数の選ばれし人々が、普通の人にはわからない宗教的知識や権威を持つという意識があるとみなされた。こうした一種のエリート主義を排除し、宗教が現実の社会の平和や秩序を脅かさないような立案をしていくのが啓蒙期と言える。
 狂信や教権主義を抑えるための案として提示されるのがたとえば市民宗教civil religionである。市民宗教は宗教権力ではなく世俗権力が管理する宗教で、宗派間の衝突をなるべく避けるために、多くの場合、伝統宗教に比べて教義が少ない。
 しかしより根本的には、正しい宗教の本質は、少数の選ばれし者だけでなく誰にでもわかりやすいような、シンプルで自明なものだという考えが盛んになっていく。正しい宗教の本質を理解し、現世の平和と秩序を守ることのできる認知能力としての理性が脚光を浴び、自然法学が花開くのもまさにこの時期である。この流れのなかで、「宗教」そのものの立ち位置が大きく変わっていき、従来はあの世での救済に向けられた教義や儀礼の総体であったものが、ますますこの世での平和を実現する「道徳」を最も有効に体現する教えのようなものへと変貌する。もし啓蒙期がまだその前の時期とは区別され、「世俗化」と結びつけられるのであれば、この「宗教」の中身の変化にその内容を求めるべきで、宗教そのものの重要性がなくなったわけではないと言えるだろう。
 
 
4. 最後に
 
 過去二十年間における政治思想史と宗教の関係についてざっと見てきて、宗教を排除した「政治」思想史というナラティブがそろそろ変わる余地はあるのではないかと私は思う。宗教は人間政治・社会に必ず付随しているものなのである。そもそも完全に政教分離がなされている近現代国家はどれくらいあるのだろうか。宗教の磁力から完全に自由な人間共同体はどれくらいあるだろうか。制度宗教の信者が極端に少ないと言われる日本でも、宗教の既得権はあるし、宗教的正義を強く求める人々が作り出す緊張感は常にある。宗教が悪いという文脈でこの話をしているのではない。むしろ人間社会における宗教の普遍性・必然性に向き合わず、とりあえず宗教は怖いもの、と蓋をして、幻想に近い「近代世俗国家」の理念を保ち続けることのほうが危ういのではないのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?